読みながら何度かまどろみ、はっとして先を読んだ……というのが古井作品の場合は褒め言葉だ。なぜなら作品の語り手も、たいていは寝入りばなのまどろみにあるようだから。
繰り返し語られるのは、友人が大空襲に遇った幼い日、半ば眠りながら母に手を引かれて歩いた時の情景と、別の友人が、青年の頃、下宿の年上の女主人と奇妙な関係を結んだ夜々の情景なのだが、空襲の日に病の父が焼死したのではないか、という語り手の疑問は解かれず、下宿の女主人も、生きているのか死んでいるのか判然としない謎の女だ。そのうちに友人からの聞き語りと語り手自身の回想も入り混じるように思われ、しまいには、この作品と過去に読んだ古井作品も、自分の中で入り混じる。
そもそも生きるとは夢と現の間を揺れることなのかも知れず、亡くなった友人井斐はまだ生きているように思われ、逆に毎年同じような年賀状のやり取りをしている友人内山はもうこの世にいないように思える。こういう世界観を、言葉の力だけで起ち上げるのが、古井作品の凄さだ。その凄さに、何度も改めて魅了される。
まどろみつつ時間をかけて読み、最終章「一滴の水」にたどりついてふいにはっきりと目が覚め、食い入るように読んだ。十八歳の頃、語り手と井斐が、土曜の放課後の屋上で遭遇した銀杏の大木の黄葉の禍々しいまでに鮮やかな光景、そして語り手の行き着く境地……あるいは人は死後を生きているのかも知れず、肉体の死は、こんなふうに唐突に訪れるのかも知れない。