内容(「BOOK」データベースより)
生きものの生態とドラマを、清冽に描く5連作。1930年代初版(フランス)の原形のままに、翻訳を見直しての復刊。
内容(「MARC」データベースより)
野うさぎのフルーとキャプシーヌの間には、小さな愛が…。ところが、キャプシーヌは果樹園にいません。ああ、もうキャプシーヌには会えない! 生き物の生態とドラマを清冽に描く。64年福音館書店刊を翻訳を見直して復刊。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
フォシェ,リダ
1899~1955。チェコスロバキア・プラハに生まれる。若い頃より、恵まれない立場にいる子ども達への教育にかかわった。そのことを通して、『野うさぎのフルー』のシリーズのもとになる『カストール叢書』の著者ペール・カストールと出会う。のち、彼と結婚し、以後、このシリーズは、夫妻の共同の仕事となった。パリにて他界
ロジャンコフスキー,フェードル
1891~1970。ロシア・ミタワに生まれる。イラストレーター、作家。自然に親しみながら、長じてモスクワ美術学校に学ぶ。1914年から1917年にかけ、陸軍に画家として役した後、ロシア革命の間、ウクライナの子どものための本に挿絵を描き始めた。内戦から逃れてフランスに渡り、パリに身を寄せた。そこで、アメリカの編集者に見出だされ、次いで、リダ・フォシェとの出会いから、『野うさぎのフルー』のシリーズの絵を手がける。挿絵を描いた作品は100点にものぼるが、そこには、いずれも、いきいきした色彩、ゆたかな自然観察という、彼の絵の特質を見ることができる。コルデコット賞受賞画家
いしい ももこ
1907~。浦和市に生まれる。日本女子大学卒業後、編集者として出版社に勤務。その後、こどもの本の翻訳家、作家として、戦後まもなくの、わが国児童文学界の草分けのひとりとなる。その功績により、1953年、菊池寛賞受賞。以後、現在にいたるも、わが国児童文学界の最高峰に位置する。自宅の一室を開放した「かつら文庫」を、長年、主宰してきた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1899~1955。チェコスロバキア・プラハに生まれる。若い頃より、恵まれない立場にいる子ども達への教育にかかわった。そのことを通して、『野うさぎのフルー』のシリーズのもとになる『カストール叢書』の著者ペール・カストールと出会う。のち、彼と結婚し、以後、このシリーズは、夫妻の共同の仕事となった。パリにて他界
ロジャンコフスキー,フェードル
1891~1970。ロシア・ミタワに生まれる。イラストレーター、作家。自然に親しみながら、長じてモスクワ美術学校に学ぶ。1914年から1917年にかけ、陸軍に画家として役した後、ロシア革命の間、ウクライナの子どものための本に挿絵を描き始めた。内戦から逃れてフランスに渡り、パリに身を寄せた。そこで、アメリカの編集者に見出だされ、次いで、リダ・フォシェとの出会いから、『野うさぎのフルー』のシリーズの絵を手がける。挿絵を描いた作品は100点にものぼるが、そこには、いずれも、いきいきした色彩、ゆたかな自然観察という、彼の絵の特質を見ることができる。コルデコット賞受賞画家
いしい ももこ
1907~。浦和市に生まれる。日本女子大学卒業後、編集者として出版社に勤務。その後、こどもの本の翻訳家、作家として、戦後まもなくの、わが国児童文学界の草分けのひとりとなる。その功績により、1953年、菊池寛賞受賞。以後、現在にいたるも、わが国児童文学界の最高峰に位置する。自宅の一室を開放した「かつら文庫」を、長年、主宰してきた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)