偉業を達成するときは、偉業を達成しようと肩に力が入ったり、ましてや悲壮感が漂いながら達成するものではない。自分自身の経験から言えば、いわば一種の高揚感とともに夢中になって物事に集中して取り組み続けて、それがやがて目に見える結果となって現れ始め、後から振り返ると思いもしなかった高みにまで達していることがある。
高鍬氏はやりたいこと好きなことを極めた結果として60歳にして京都大学文学部に一般受験で合格し学生生活を満喫しているのであり、誰に頼まれたわけでもなく、ましてや誰かに誉められるために行っているのではない。これは改めて重要な学びである。京都大学合格そのものを自己目的化していない。勉強することが好きだから、科学史を趣味として勉強したいから、そのための権利を得るために合格が必要だったのである。
60歳ぐらいでも記憶力や思考力はそんなに衰えず、ガチンコで現役受験生と勝負して合格するというのはやはり痛快な話である。元気が出てくる話である。スポーツ選手の寿命は、筋肉など肉体そのものを20代などの選手と競わせるために、40歳を過ぎて現役というケースは少ない。一方で、頭脳の方は持ちが良さそうだ。きちんと手入れして、鍛錬を怠らなければ、60歳でもまだまだいけるということだ。40歳を過ぎると、何となく人生がこの先見えてきたような気がして、しぼんでいく感じに見えてしまう人が多いと感じるが、むしろギアは高速に維持したままトップスピードで走り続けることが現代では可能になってきたということである。この本では特に触れられていないが、医学の飛躍的な発展が健康な体の長期的な維持を可能にしてきているからだと言える。
明治維新のころは、高杉晋作にしても、坂本龍馬にしても皆若いが、平均寿命そのものが35歳くらいであったと最近どこかで聞いた。真偽のほどはまだ確認していない。ただ感覚的には、当時は40歳を過ぎると今の60歳くらいの感覚でとらえられていたようだ。幸いなことに今を生きて、日本などに住む人の寿命は長い。いろんなことに挑戦するのはむしろこれからだと感じた。
参考になった箇所は以下の通り
→若いころに比べるとシナプス形成は遅いかもしれないが、刺激を与えて脳を鍛えれば鍛えられる
→今大学院は定員が増えたものの、大きな声では言えないが優秀な学生が集まらなくて困っている状態だそうだ
→私が臨床医をしながら合格してしまう位だから、京都大学がそう難しいものではない可能性が高い
フルタイムの仕事をしていて十分な受験勉強が出来ないままで受験した今回の入学試験で私が楽勝だったということは、現在の京都大学入学者の受験学力レベルが低下していることを表しているのかも知れない。
受験生の総数が半減しているのだから、単純に考えて京大は昔に比べて二倍近く入りやすくなっているのではないだろうか。
→実生活と無関係なことで何の役にも立たないことでも、興味を持ったものを一所懸命考える
→文学部入学について、勿論呆れている友人もいたが概ね好意的だった
→京大は授業料免除制度が整備されているので、収入によっては申請すれば授業料が免除される可能性が高い
→大学の良いところは、似ていたり異なったりするいろいろな問題意識を持った人間がそばに居て、お互いに刺激し合うことにより、豊かな創造性が生まれることにある
→人間面白いと思ってやると身に付くが嫌々やっても身に付きにくい
私の父は私がいくら勉強しなくても勉強しろとは一度も言わなかった
何の目的もなく、単に面白いから、近鉄電車の中で数学の問題を解いていた。自発的に楽しみで問題集を解くのだから、これは趣味と言わざるを得ない
→机に向かって受験勉強できたのは一週間に十時間ほどしかなかった
Z会の通信添削は一回も休まず遅れず提出した。毎月二十五日頃に翌月二回分の問題を受け取る。
往復二時間の近鉄社内を勉強部屋にすることにした
→ゆっくり趣味として学ぶために四年間またはそれ以上学べるように、一回生から始める方が良いと思った
→一所懸命考える事を繰り返していたら、徐々に考えられるようになってきた
新しい記憶はもう無理だと思って諦めていたが、これもやる気を出して覚えようとすれば覚えられる事が分かった
地理のように全く新しい事も覚える事が出来たのは新しい発見だった
脳はやはり諦めずに鍛えれば鍛えらるようだ