詩集『適切な世界の適切ならざる私』から、ひとつ詩を選ぶとすれば『横断歩道』。
“詩を、生きる信号としたために、私は幾度もことばに轢かれた”
この一行にわたしはやられた。普通の人は轢かれても感じないけれど、詩人は天才なので、ことばに轢かれたことを詠える。轢かれた路上で、ことば色の血を流し、目をつむり這い出すと、今度はことば音につかまる。その音の密生にからまり、やがて青信号が点滅する。
渡りきるまで、
たくさん轢かれてみよう。(中略)
おりてこいよ、ことば。
詩とはことばに轢かれる所業なのか。この詩の前半の情景は、黄色い“交通事故障害保険”のワッペンをつけたランドセルの児童が、赤信号だから渡っちゃだめだよ、と詩人の鞄を引っ張ってとどめようとする。赤信号でもわたるのは、詩をうたいたから。横断歩道という、安全と危険のゼブラにことばをきざむこと。詩人は“ランドセルも道連れ”にして渡りきろうと発する。ことばは危険なのだ。
終行の、“おりてこいよ、ことば”は、わたしにとって生涯の一行。