「はしがき」に「遣唐使の実態について普及されていることがらは、思いのほか少ない」「遣唐使全体を扱った一般読者向けの本は、(略)ここ半世紀余りも出ていない」とあるのを見て、「確かにそうだなあ」と感じた。小学校の歴史の授業でも登場するくらい有名なことであるが、一般ではせいぜい中学校の教科書レベルまでの内容しか知られていないであろう。それ以上は大学の専門レベルの内容になり、よほど興味がない限りふれることのない話になってくる。
また、著者が同じく「はしがき」で触れているように、遣唐使というと正倉院の遺物とか、留学生とか言った文化交流の側面が強調され(学校教育の内容もそれに準じている)、日中政治史から見た遣唐使という側面は軽視されてきた。日中交流は微妙な問題もあるので、当たり障りのよい文化交流を前面に出してきたと言うことだろう。歴史研究が政治的思惑から解放されてきた昨今、やっと遣唐使本来の目的であった政治的側面が日の目を見ることになったと言えるだろう。
著者の執筆のスタンスは実証的である。
学者らしく、文献を中心とした史料から遣唐使を分析し、奈良・平安という時代における日中の交流について冷静な視点を持って記述している。「日没する処の天子」と隋に対等の関係を要求したとか、失明しながらも日本の仏教興隆に検診した鑑真とか、帰国の念願かなわず異境で果てた阿倍仲麻呂とか、とかくロマンをもって語りがちなテーマも、仏教経典の文句を引用したとか、なかば干されて当初の意図がかなわなかったとか当時の状況や史料から現実の姿を描き出している。そういった活きた姿のほうがよほどロマンとドラマにあふれていると感じるのは私だけだろうか。
「歴史が好き」という人々はいろいろな志向があるが、この本は歴史学への興味が強い人に薦めたい。歴史小説的なドラマやロマン、教訓話を期待する向きにはあまり面白くないだろう。