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遠藤周作と歩く「長崎巡礼」 (とんぼの本)
 
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遠藤周作と歩く「長崎巡礼」 (とんぼの本) [単行本]

遠藤 周作 , 芸術新潮編集部
5つ星のうち 4.7  レビューをすべて見る (3件のカスタマーレビュー)
価格: ¥ 1,470 通常配送無料 詳細
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商品の説明

出版社/著者からの内容紹介

「一枚の踏絵から始まる旅もある」
 かれこれ四十年ほど前の、初夏のとある夕暮、遠藤周作は、初めて訪れた長崎
の街を格別どこに行くあてもなく、歩いていた。大浦天主堂前の人混みを避け、
ぶらぶらするうちに、十六番館という木造の西洋館に行き着く。時間つぶしに中
に入る。そして、一枚の踏絵を見た----。
 薄暗い館内でしばらく、じっと立っていたのは、踏絵自体のためではなく、そ
とを囲んでいる木に、黒い足指の痕らしいものがあったためであった。足指の痕
はおそらく一人の男がつけたのではなく、それを踏んだ沢山の人の足が残したに
ちがいなかった。(『切支丹の里』より)
 踏んだのはどんな人たちだったのか? どんな思いで踏んだのか? 私が当事
者だったら踏まなかったか? いや、踏んでしまっただろうか? 
 一枚の踏絵から始まる旅もある。遠藤周作は[黒い足指の痕]をいわばパン種
にして想像をふくらませ、あの名作「沈黙」を書きはじめた。キリスト教布教の
使命に燃えて日本に密入国し、やがて捕縛されるポルトガル人宣教師ロドリゴの
悲劇。作家は小説の構想を練りあげながら、三カ月に一度は必ず長崎を訪れ、県
下の津々浦々、切支丹の面影を訪ね歩く----。
そうして生まれた作品「沈黙」、信徒発見を題材にした「女の一生」の舞台
を、辿ってみよう。遠藤周作はその雨に濡れる街角で、狭い路地で、何を感じ、
何を考え、何を見出したのか? もし現地へ行かれたのなら、原文を声に出して
読まれることをお勧めする。作家の心を、より深く味わえるだろう。そして長崎
巡礼が終わった時----、西欧、近代、キリスト教、我々日本人......、遠藤が生
涯をかけて格闘した何かが、再び、見えてくるはずだ。では、出発!     

内容(「BOOK」データベースより)

奉行所跡でロドリゴ神父の踏絵シーンに泣き、大浦天主堂でキクの哀しい最期に泣き、浦上村でサチ子の被爆悲話に泣く…。作家は雨の街角で、狭い路地で、何を考え、何を見出したか?「沈黙」、「女の一生」の足跡を辿る―。

内容(「MARC」データベースより)

奉行所跡でロドリゴ神父の踏絵シーンに泣き、大浦天主堂でキクの哀しい最期に泣く。作家は雨の街角で、狭い路地で、何を考え何を見出したか。「沈黙」「女の一生」を紹介し、その舞台を歩く。「歩き方」ガイド付き。

出版社からのコメント

「沈黙」「女の一生」の中で、遠藤さんが投げかける様々な問い
かけに自分なりの答えを見出したくて、長崎中を歩いてきました。作品の現場
で、作家と同じ目線に立つことで、ヒントを掴めた気がします。遠藤文学再発見
の旅へ、どうぞご一緒に!

カバーの折り返し

長崎キリシタン年表
「沈黙の時代」
1549 フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝える。
1562 口之津、横瀬浦開港。(p66、106)
1569 織田信長、フロイスに京都での宣教を許可。
1570 長崎開港。(p54)
1571 岬の教会建つ。(p62)外海にキリスト教伝来。(p17)
1579 口之津で宣教者会議。(p119)
1580 有馬にセミナリヨ建つ。(p115)
1582 天正少年使節ローマへ出発。(p58)
1587 秀吉の伴天連追放令。
1597 西坂の丘で、二十六聖人殉教。(p32)
1603 浦上にサンタ・クララ教会建つ。(p78)
1609 クリストヴァン・フェレイラ、イエズス会宣教師として来日。
1613 幕府による全国的禁教令発布。
1614
キリスト教聖職者海外追放、多くの教会が破壊される。(p34、35、37、46、
78)
1627 雲仙で地獄責め始まる。(p108)
1630 この頃、踏絵が始まる。(p43)
1633 フェレイラ神父からの通信途絶える。(p38)
1635 寺請制度が始まる。
1637 島原の乱。(p116)ポルトガルとの通商断行。ロドリゴ神父ら日本行きへ
の準備開始。 
1638 ロドリゴ神父らゴア(インド)到着。 
1639 鎖国。ロドリゴ神父らマカオ出発、日本潜入......。(p11)
1641 オランダ商館、出島へ移設。(p60)
「江戸明治・キクの時代」
1858 幕府、米仏ら五カ国と通商条約結ぶ。
1863 まずフューレ神父、次いでプチジャン神父来日。
1865 キクら長崎市内へ奉公に出る。大浦天主堂建つ。天主堂で、信徒発見。
(p97)
1867 浦上の信者捕まる(浦上四番崩れ)。(p79)
1868 明治維新。明治政府、キリスト教禁教。浦上の信者たち流刑に。(p58)
ド・ロ神父来日。(p24)
1871 キクの最期。(p102)
1873 禁教令解かれる。浦上信者「旅」から帰る。(p82)
1880 浦上・庄屋屋敷跡に仮聖堂建つ。
1913 清吉と伊藤清左衛門、津和野で再会。
1914 浦上天主堂完成。(p82)
「昭和・サチ子の時代」
1930 コルベ神父ら来日。(p61、104)
1931 満州事変。
1933 サチ子、ジム・ウォーカーらと友達になる。
1936 刑事ら、コルベ神父の修道院に潜入。コルベ神父、欧州へ帰国。(p47)
1939 ウォーカー一家アメリカへ帰国。
1941 コルベ神父、アウシュヴィッツで死す。第二次世界大戦始まる。(p48)
1942 修平、慶応大進学。
1943 修平とサチ子口之津へハイキング。(p120)修平徴兵される。
1945 修平、特攻隊員になる。浦上に原子爆弾落ちる......(p84)

著者について

遠藤周作 えんどう・しゅうさく
1923(大正12)年、東京生れ。幼年期を旧満州大連で過ごし、神戸に帰国後、11
歳でカトリックの洗礼を受ける。慶應義塾大学仏文科卒。フランス留学を経て、
1955(昭和30)年「白い人」で芥川賞を受賞。一貫して日本の精神風土とキリス
ト教の問題を追究する一方、ユーモア作品、歴史小説も多数ある。主な作品は
『海と毒薬』『沈黙』『イエスの生涯』『侍』『スキャンダル』『遠藤周作で読
むイエスと十二人の弟子』(いずれも新潮社刊)等。1995(平成7)年、文化勲
章受章。1996年、病没。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

遠藤 周作
1923(大正12)年、東京生れ。幼年期を旧満州大連で過ごし、神戸に帰国後、11歳でカトリックの洗礼を受ける。慶應義塾大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955(昭和30)年「白い人」で芥川賞を受賞。一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品、歴史小説も多数ある。1995(平成7)年、文化勲章受章。1996年、病没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

抜粋

遠藤周作文学館 Endo Shusaku Literary Museum    
 美しい海、緑したたる山、そして岬に抱かれた静かな入江の村々。「沈黙」の
若き司祭ロドリゴが、キチジローに案内され、人目をさけて日本上陸をはかった
のは、この文学館のバルコニーからも見下ろせるそんな村のひとつだ。
 真夜中、船はふたたびできるだけ静かに動きだしました。が幸い月がないため
に空は真暗で誰にも発見されません。半レグワほどの高さの陸地が少しずつ迫っ
てきます。両側が急な山の迫っている入江にはいりこんだことに気がつきまし
た。浜のむこうに押しつぶされたような家々の塊が見えたのもこの時です。
 まずキチジローが浅瀬におり、続いて私が、最後にガルペがまだ冷たい海水に
体を入れました。ここが日本なのか、それとも別の国の島なのか、正直な話、三
人には見当もつきませんでした。【沈】
 文学館は小さな岬の突端に建っていた。館内には「沈黙」の鉛筆書きの草稿、
作家の生涯をたどる写真パネルなどが展示され、観光客にまじって若い修道女も
熱心に見入っていた。角力灘に面したテラスは眺望絶佳。実際このあたりは夕
陽の名所でもあるのだ。
 外海の海岸からは日中、遠く五島列島の一部が望まれる。「五島へ五島へとみ
な行きたがる 五島はやさしや土地までも 五島へ五島へとみな行きたがる 五
島は極楽、行って見て地獄(「五島キリシタン唄」)」。十八世紀後半、外海の
農民たちは狭く貧しい土地を捨て、大挙して五島列島へと移住した。が、肥沃な
土地には開墾が許されず、かくれ切支丹として差別も受けたという。彼らが必死
の思いで渡った海は、今はただ穏やかに、陽光にきらめいている。
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