先月、久方ぶりに野口英世記念館に行った流れで、なんか「遠き落日」読みたくなったので思わずアマゾンで購入してしまった。ポチッとした後で、そうだ図書館で借りればよかったんだと思ったが、しょうがない。何軒かまわった本屋ではなかったのだ。普段あれだけ図書館を利用している自分がなんでこのときは図書館利用を思いつかなかったのかが不思議だけど、きっとそれだけ手元に置きたかったってことで理解しようと思う。
んで、読んでみた。著者は渡辺淳一。渡辺淳一っていったら失楽園とか愛の流刑地とかでしょう。ちょっと官能的な小説を書くお医者さんってな認識しかなかった。映画は見ているんだけど原作は「失楽園」にしろ「愛の流刑地」にしろ読んでない。
上下巻だけど、一気に読んでしまった。最近一気に本を読破するってことがなかなか出来なくて困ってる。若いときと違って集中力が続かないのだ。そんなオイラだがこれは面白かった。全くのフィクションではないっていうのがよかったのかな。全くのフィクションはなんか最近、“所詮作り事でしょ”感が強くってサ。
野口英世といえば今では千円札の図案にもなっているわけでほとんどの日本人にとってはなじみが深いはずで、一日に何度も顔を合わせているはずである。偉人中の偉人であるがその実像はあまり知られていないのでなかろうか?ともすれば日本の多々ある野口英世伝は偉大な医学者ってことだけに重点を置きすぎて彼の実像に迫っているものは少ない。この「遠き落日」は野口英世の素晴らしいところは素晴らしいが、ダメなところはダメとはっきり描いた渾身の力作である。
大体ほとんどの評伝で誉めそやされている野口英世の業績そのものが、彼の死後に急速に評価が失われたのだ。それは彼の黄熱病の研究が間違っていたことが大きく影響している。まぁそれはしかし気の毒な面が多々あって、黄熱病の病原体は微細なウィルスだったわけだが、野口の時代には顕微鏡でそれを発見するのは不可能だったのである。
それはともかくも、野口英世の最大の欠点は金にルーズだったことである。誰彼となく金を借りまくっていてほとんど返した形跡がないのだ。経済的なことに関しては“性格破綻者”とまで渡辺淳一は書いている。
野口の人生は前半が日本、その後半がアメリカとほぼ二つに分けられる。その日本時代に野口を支えた重要人物を三人挙げておく。会津時代、高等小学校に進むことを進言してくれた恩師小林栄、高等小学校時代の同級生の八子弥寿平(やこやすへい)。英世は再三再四、八子家から金をむしりとっている。三人目は東京に出てから世話になりっぱなしだった血脇守之助である。この人物は生涯英世のスポンサーであり続けたすごい人である。
それでは、彼等のエピソードをいくつか紹介しておきます。と思ったけど長くなるのでその中から八子親子のエピソードだけ紹介します。(なんかもう書くのが億劫になってきた)
八子弥寿平は、父が猪苗代町の富豪であり人の良いぼんぼんだったことから幾度となく清作(英世)から金の無心をされた。なかでも高等小学校卒業間近に無心された漢文の教科書は大物であった。「みんなが持ってんのに一人持ってねぇのは辛れぇんだ。本さえあれば首席になれんだげんども、なんとか工面してもらえねぇがなぁ」と哀れっぽい口調で持ちかけた。この教科書は全四巻であわせて三円という高価なものだった。当時白米一升12〜13銭だったことを考えれば大変に高価であることは分かると思う。いくら金持ちのぼんぼんとはいえさすがにこの金額は弥寿平にはでかすぎた。とはいえおっとりしていて頼まれるとイヤとは言えない性格、加えて清作の頭脳明晰さを尊敬していて勉強も見てもらっている弱みもあって困り果てた弥寿平は、迷いに迷った末に父の金庫から金を盗み出そうとして見つかってしまう。父に問い詰められた弥寿平は清作に頼まれたことを白状してしまう。
弥寿平の父の留四郎という人物は、商人ではあったが学問にも熱心なひとだった。幼い頃は学者になりたかったということもあり、周囲の人々や弥寿平の口から、いかに清作が優秀かをきいていただけに、三円を与えることを了承した。清作を呼んでその旨伝えると、清作は借用証を書くといい、その場で漢文ですらすらと書き上げてみせた。留四郎は改めて清作の優秀さに感心する。借用証だから当然返済日も明記されているのだが、その日が来ても清作は平然としている。結局この金を清作は返していない。はじめっから返す気などないのである。清作は留四郎も弥寿平も借金の返済を迫るようなタイプではないことを見抜いていた。彼等が不自由な左手を持つ自分に施しをすることで満足感を得る人間であることがわかっていたのだ。
それにしてもこの父子から清作が無心した金品は膨大な金額にのぼる。金から日用品、衣類、さらには東京に出た後も手紙で五円、十円と無心を重ね、総額は千円を軽く越すとも言われている。この当時の千円というと今でいう3千万円に相当するのである。さすがに後年あまりに彼らからむしりとり過ぎた事に気が引けたのか、アメリカから凱旋帰国した際、金の鎖付きの時計を弥寿平にお土産として渡している。だがそのとき弥寿平は素直に喜んだが、弥寿平の母親は「こんなもんで今までの借金を帳消しに出来るとでも思ってんのが!」と毒づいて時計を清作に投げ返したという。このあたりのことは映画「遠き落日」にも極めて的確な描写があるので気が向いた方がいたら観て欲しい。
この後、みんなから餞別をあつめて医師開業試験に挑むのだが、上京して程なく金が尽きた清作は、高山歯科医学院で講師をしていた血脇守之助を頼るのである。この血脇氏ほど面倒見がいい人もいない。金にルーズな清作のほとんどの尻拭いはおろか、アメリカ行きの旅費すら飲めや歌えやで一晩で使い果たしてしまった清作の窮地を救ってくれるのもこの人なのである。しかもそのアメリカ行きの旅費は結婚詐欺まがいのことをして得た金であるにもかかわらず(笑)
いずれにせよ、渡辺淳一の「遠き落日」は偉人・野口英世の“偶像破壊”を目論んだような悪意のある描き方ではない。確かに人間発電機と言われた類まれな集中力も発揮して研究に打ち込みもすれば、また破滅的な金の使い方をして周囲を困らせるダメ人間、野口英世の悪しき部分も全て含めて「愛」を感じさせてくれる大作である。今回久方ぶりに映画「遠き落日」も再見したが、映画がいかに野口英世のひととなりを伝えていないかがよくわかった。しかし映画は別物である。シカとの親子愛と猪苗代湖にフォーカスされているのである。映画は原作にはないシカが東京の英世の下宿を訪ねるシーンが白眉であることをここに申し添えておく。渡辺淳一の「遠き落日」は破天荒な野口英世の生き様が最後には誰もが好きになる。長年研究してきた黄熱病により野口英世が53歳の生涯を閉じる場面では涙が止まらなくなった。人生は必ず表と裏、光と影がある。英世にとってみれば手ン棒と呼ばれた開かない左手というやけどによる障害が彼の人生に色濃く影を落としたのは間違いないのだけれど、反面左手が人並みだったら貧農の出であった彼は勉強などに打ち込めず母のシカといっしょに家を手伝い鍬を握っていたのは間違いないのだから。ゆえに手ン棒というハンディがあったればこそ後の「野口英世」は誕生したともいえるのである。