うーん。……何と言ったらいいのでしょうか。
とりあえず、ミステリとしては、冗長な凡作です。美貌の指揮者と難病を患う抽象画家の出会いを契機に三代にわたる秘められた因縁が露わになる、というだけの話で、新たな犯罪事件は何も起こらず、楽譜の暗号だけはよく出来ていますが、そのほかの謎は(二つの暗号も含めて)何ほどのこともなく、それでこのページ数ではあまりにも長すぎます。解明の過程も、変なもったいぶりが鼻について、よろしくありません。
恋愛小説としても、いまひとつです。長篇二冊分の分量があるのですから、横恋慕や不慮の災害、誤解や錯覚など、あの手この手で、もうちょっと紆余曲折させるのが小説の作法というものでしょう。出会いました、お互い好きになりました、気持ちが通じ合いました、そして……、では、簡単すぎて胸に響いてきません。
本篇は、それぞれの道に心血を注ぐ若き芸術家たちの生きざまを描いた「芸術家小説」として読むべき作品なのだと思います。
ところが、特殊小説家である作者は、本来なら芸術家の人間性を描くことに注ぐべき労力を、彼らの創り出す芸術そのもの、文章では表現しがたい音楽や抽象画を描き出すことに注ぎ込みます。殊に、コンサート・シーンの描写は素晴らしく、活字だけによって、音楽をここまで表現したという点だけでも、この作品の存在意義はあると思います。
私としては、画業に専念していた緑川弦が火渡樹理に恋した時、彼の心の中で何が起きたかをもっと知りたいと思いました。時として、絶望が人を平安にし、希望が人を苦しめ狂わすことがあります。樹理を愛したことにより、忘れていた死への恐怖が幾倍にも大きくなって甦ったのではないでしょうか? しかし作者は、そんなことにはお構いなく、長々と、生き生きと、抽象画創作の過程を書き綴ります。
結論としては、見当違いな期待をせずに読むならば、これは確かに、美しい日本語で表現された充分に良い小説です。