道路に関わる権力と利権の凄まじさを感じさせる力作である。
政権交代直前の自民党は、道路特定財源の一般財源化の骨抜き、景気対策の名目での高速道路料金の値下げ策など、強硬な道路優先政策を進めた。ほんの少しさかのぼると、小泉政権の道路公団分割・民営化(2005年10月実施)施策があり、そのために「道路公団民営化推進委員会」が設置され(2002年6月)、答申が出された(2003年12月)ことに行き当たる。著者の星野氏は、公団民営化の一連の施策の欠陥が、道路政策の滅裂につながったとみなす。
星野氏は朝日新聞の経済グループの記者であり、民営化委員会に密着し、インタビューを重ね、資料を読み込みながら記事を書き、その経緯をとりまとめた。編集者によってこのドキュメントに『道路独裁』とタイトルがつけられ、この本が生まれた。
記者の立場がなければ書くことのできないドキュメントだが、センセーショナルなジャーナリズムでなく、「償還主義、プール制を排し、公団を引き継ぐ会社が道路資産を保有(上下一体化)することが改革の本来のあり方」であり、それができなかったことで政策は骨抜きにされたという洞察を一貫し、その視点から状況を整理し、記述している。
無際限の高速道路整備に歯止めをかけようとした小泉首相も、特殊法人の分析で名を馳せ委員となった猪瀬直樹氏も、国土交通省道路局の官僚、自民党の道路族議員に見事に手玉にとられ、政策意図は崩壊していった。そして、政策崩壊の責任は、改革を装った小泉首相、そして、民営化の本来のあり方が見えず調整に留まった猪瀬氏にある、と星野氏の批判は手厳しく、妥協しない。
星野氏の議論だけで民営化施策を評価することを、私自身は、避けようと思う。しかし、『道路独裁』が詳細に記述する道路にまつわる権力と利権、そして、既存の利益配分のメカニズムを守ろうとする官僚と族議員の知恵と情報操作は凄まじく、その凄まじさの中で「装い」や「調整」といった細工はひとたまりもなく、改革が崩壊したという星野氏の議論は十分に説得的で、読む者を震撼とさせる。
民主党は高速道路料無料化、暫定税率廃止をマニフェストにかかげた。これらの施策は道路財源と建設の仕組みの改革を意図したものと考えられるが、過剰な自動車交通を誘発し、いわゆる環境問題に限らず、拡散的な市街地形成や道路交通被害の増大などの問題を拡大する危険性もある。精密で強固な政策フレームを欠いたまま、キャッチフレーズが一人歩きし、道路にかかわる権力や利権が跋扈する危険は十分にあり(本の帯に「民主党にも道路族はいる!」とある)、それを回避することが政権担当者と主権者である国民の任務である。
私事だが、私は自動車の安全施策に取り組んでいる。『道路独裁』を読みながら、私の頭に、「自動車独裁」という言葉が何度も浮かんだ。自動車をめぐって、どれほどの権力と利権が渦巻いているだろう?『道路独裁』を読み終えて、私は官僚と族議員の固いセメント板に閉じ込められるような窒息感と高い圧力を感じた。しかし、改革を目指す以上、この窒息感や圧力を覚悟し、それを克服する仕組みをつくらねば、と、私の苦い読後感は決意のようなものに変わった。
この本が、多くの読者の反響を生み、政権を担う人々、野党、国民の指針となり、日本の政治・経済・社会の本来の革新の重要な礎になることを期待する。
(2009年10月2日に一部改定しました。)