農学系からはたまに面白い書き手が出ますね。講談社現代新書の2冊の続編で、分類、系統樹の次は進化というわけです。幅広い問題関心と読書体験が窺える意欲作で、「アカデミックな荒俣宏」風な雰囲気もあります。サントメールのランベルトゥスとかフィオーレのヨアキム、ルルス、キルヒャー、ヴァールブルクといった名を理系の本に見出すのは楽しいし、感心します。
ただ、あれもこれもという欲が筋の明晰さを損なっている印象があります。包括的な体系学の構築が熱く語られる一方で、創造説をはじめとする本質主義的議論(いわばプラトニズムですね)は斥けられるので、この著者の哲学的立場が判然としないのです。体系を要請するのは存在であって、生成ではありません。しかるに進化的思考とは生成の思考の典型ではなかったでしょうか。私見では、この主題の背後にはやはりキリスト教思想が大きく横たわっており、その意味で、たとえばテイヤール・ド・シャルダンに言及がないのは怪訝です。
ともあれ、比較言語学とかレトリック理論、イコノロジーなどへの架橋の試みは野心的ですし、多くの宝を秘めた好著であることは疑えません。小さい完成より大きな未完成を。学問と書物の宿命であり、栄光です。些事ながら、ヨアヒム・フォン・フィオーレとかボッカチオ、ウィルバーフォース司教といった表記が気になります(フィオーレのヨアキムあるいはヨアキム・デ・フローリスないしジョアッキーノ・ダ・フィオーレ、ボッカッチョ、**主教がよいでしょう)。