読後感が悪い。いろんな意味で。
まず、公判前にこんなことが可能な事実に驚いた。いくら出版不況だとはいえ。
出版前に、被害者の家族の了解は得たのだろうか。得なくてもいいという判断だろうか。
もし事前に知っていれば、被害者の家族は、出版差し止めや自主回収を要求したのではないだろうか。
著者本人の倫理、出版社の倫理、両方から批判されるだろう。
それは、印税を受けとるかどうかの問題だけじゃない。
著者はとにかく自尊心が強い。自覚してないが、じぶんのプライドを守ることが第一義のような印象。
マスコミのさらし者になりたくない、という記述が何度か出てくる。プライドを守るための逃亡だったらしい。
最後まで読むと、結局、著者がこの逃亡記の出版でしたかったことは、
被害者への贖罪や、裁判や量刑を意識したというのもあるだろうが、
マスコミの誤った報道についてただしたかった、その気持ちが最も強かったのではないかと感じた。
特にじぶんのセクシャリティについての記述で。
ただ、性的倒錯などに関して、著者は誤解している。
テレビの犯罪捜査のバラエティ番組で、海外の霊能者やプロファイラーを使ったものは、
著者に関しては、まったく当たってなかったらしい。
じぶんの犯した罪は死刑になっても仕方ないと覚悟を決めていたなら、
飯場での肉体労働を罪の報いであると感じるなら、かけらでも贖罪の気持ちがあるなら、なぜ自首できなかったのだろう。
著者の書き方だと、自首できなかったのは、ひとえにマスコミのせい、という感じ。
マスコミでさらし者になるよりは、死んでしまいたかったという著者。逮捕後14日間の絶食も、死ぬつもりでやったらしい。
じぶんと親の名誉を回復したいという、強い思いは伝わってくるが、
出版によって、被害者の遺族が深く傷つくであろうことには、みじんも考えが及んでいない。
むしろ、この時点で、しかも逃亡記の印税を慰謝料として渡すというのは、考えが浅いといわざるをえない。
その態度は、案の定、さらに深く深く被害者の家族を傷つけた。
著者本人の罪状は出版時は死体遺棄のみ。
被害者を「死なせた」という表現は、計画性がなかったことをにじませているのか、
大きすぎる罪を犯したためにまだ向き合えないのか。
プライドが傷つくと、かっとしやすい性格、判断力も未熟だった著者。
逃亡の直後から罪の大きさを自覚し、恐怖していることはわかるが、
図書館やまんが喫茶を利用し、稼いだ金で二度も整形し、冷静かつ大胆に逃亡生活を続けていたわけで。
警察関係者の人には逃亡者の捜査の参考になるのだろうか。
駅とか電車とか飯場とか離島とか、捜査の対象にならなかったはずはないと推察するが、発見できないという不気味さ。
早い時期に、どこかの駅で警官が声をかけているのに、それでも著者は逃げられた。
身元を証明するものなしに働ける世界があることにも驚く。
これも警察には充分予測できたことだと思うが。
造園家をめざしていたという著者。表紙や本文中のカットも著者だという。
英国人から英語を学ぼうとしたのも、イギリスの造園を学びたい気持ちがあったのかもしれない。
裕福な家庭で才能を育む援助も受けられたし、学ぶ能力もあったようだ。
My life is for me. 著者は被害者の最期の言葉を覚えていた。私の命(人生)は私のためにある。
被害者はほんとうに浮かばれない。善意から、造園家をめざす若い学生に、英語を教えただけだ。
心の広い人だったのだろう。命を落とす瑕疵は見当たらない。
ひとりで男性の部屋を訪問したのが被害者の落ち度とはいえない。
欧米の女性だから、性行為におおらかというわけじゃない。むしろ逆ではないだろうか。
欧米だからこそ、日本以上に、男女関係なく友だち関係が成立する
男女がただの友人として、ひとつのマンションやホテルの部屋をシェアするのは珍しくない。
女性が男性の部屋を訪問したからといって、その女性がセックスに同意したことにはならない。
被害者は、著者を友人、あるいは生徒として信用したから、部屋を訪ねたのだ。
被害者は、どうやって、こんな事件に巻き込まれないように、身を守ればよかったのだろう。
犯罪をおかした人の手記は、どれだけ誠実に書かれていたとしても、読者には闇が残る。