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しかし論理ははっきりしている。論旨をたどっていくことは苦にならない。
この本はいろいろな側面から読むことができる。
ここでは、最近の学問の潮流やメディアで活躍する学者・評論家たちの、近年の動向を視野に置いた発言に注目しておくことにする。
具体的には生物学や心理学の動向、個人名では谷沢永一、小林よしのり、福田和也、五木寛之等等である。ここでは後半に注目する。
谷沢永一の文芸評論の優秀さをてっとりばやく知りたい人は、『紙つぶて』を読むといい。その谷沢の近年の迷走ぶりをしっかりと注において批判している。「保守」の悲惨な末路の一例である。小谷野氏は、既に自分を保守主義者と規定している。「保守」に関心がある人は、こうしたところにも注意しておきたい。
そして若い方。著者は、福田和也、宮台真司の奥には「ニーチェ主義」があることを指摘し、それをうさんくさいものとしてしりぞける。最近のナショナリズムの流行にも「退屈」という問題テーマをかぎとっていると思われる著者の立場がここからもうかがえる。宮台も福田も、若い者に人気があり、どちらもそれぞれの立場で「今、真剣にpえるべきことは何か」を追求しておりその功績は評価されてしかるべきだ。しかし、原理的な「答え」を出してしまっているそのやり方をこの著者はうとましく思っているらしい。それは著者が問題を扱うそのもってまわった「手つき」みたいなものから、十分想像できることだ。
著者の立場からは、現代において、このような原理的な思考は端的に「危ない」ものとされる(ようだ)。
また他方では、五木寛之や俗流森田療法のような、安易な現状肯定の思想も拒否する。最後のほうでカール・ポパーの言葉の引用があるところなどは、著者のそうした問題意識からたどり着くところの基本的な態度を明示する。
原理よりもまず事実につけ。といったことや、社会は変えられるところは変えられる。変える努力をする!といった態度である。
日本の前近代の歴史にたいする知識の豊富さは、この本の現代文明論としての信用度を増してくれる。たとえば宮台真司はこの歴史的知識に欠けるところがある。
理性によってまちがったことがでてきてしまったら、理性によって変えていくしかない。社会はいい方向に変えていくべきものである。そしてその際に、人間の「退屈する本能」にたいする考察を深めておくことが必要である。そのことによって、われわれはもっと広い文明的視野を得ることができ、今の社会をもう少しましなものにしていくことができるのではないか。
大上段に構えて、こういうことを主張しているのではない。
それとなくそういう思想を提示している。
ここらへんがなんとなく、この本に「希望」を感じてしまうところなのである。
冒頭から話しがそれましたが、「人生は最大の暇つぶしだ」常々思っているので、30年生きていて、実際働いているというのに、将来の夢がなぜ「職業」になるのかがよく理解できないのです。そんな私にとってこのすばらしい「中庸」論の小谷野敦さんの本書は楽しく読めました。
結論部では、『スロー・イズ・ビューティフル』のような、いわば「低速度社会」にも行き着くわけだが、しかし「退屈」をキーワードに文明を読み解いてゆく過程にはむしろスリルさえ感じられ、知的好奇心を満たしてくれる本に仕上がっている。
ところで余談であるが、わたしは「正しい日本語」―よしそれがいくらか欺瞞的な響きをもっているものだとしても―に興味を抱いており、小谷野氏が「支那」(「支那」の語を用いたのは呉智英の影響を受けているのかもしれない)とか「文藝」(「芸」の音は「ウン」。「くさぎる」などの意をもつ。常用漢字「芸」の本字は「藝」。さらにふるい形は「云」を除いたもの)とかの語を用いてくれることにはある種の尊敬すら感じるのであるが、特にこの本では註で『「広辞苑」の嘘』なる駄本(あれはイデオロギー批判の書であって辞書批判の本ではない。辞書批判をしたいなら国広哲弥や石山茂利夫、金武伸弥の本を読むべきである)も叩いてくれており、まさに「痒いところに手の届く」つくりになっている。
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