ノルウェーのベストセラーなのだそうで、世界15カ国以上の国々で翻訳出版されたということだが、抽象的な概念用語と日常語との乖離のある日本語に訳されると、原文の平易さはかなり割り引かれてしまう。ある程度近代哲学(ことに現象学)の基礎的な知識がなければやや難解に思われてしまうかもしれないが、本書は学術的な体系的記述を目指したものではなく、「退屈」の主題を「近代」という時代に固有の歴史的な問題として捉え、さまざまな視点から省察したエッセーであり、日本のベストセラーになる新書によくある大人が子供に言い聞かせるような不自然な「平易な文章」ではなく、友人の手紙のような「くつろぎ」のあるしなやかな文章が清々しく、やや難解に思われるような箇所も、じっくり考えながら読むことで(辞書などを引きながら)、深い思索への端緒を開いてくれることだろう。
本書は4つの章に分かれている。まず第1章では本書で扱われる「退屈」の主題の大枠を「近代」という歴史的概念の上に設定する。第2章ではそのような歴史意識をロマン主義という哲学・美学上の概念から根拠づける。第3章はドイツの哲学者マルティン・ハイデガーの退屈に関する現象学的分析を検討し、「退屈」を乗り越えようとする哲学的試みの陥穽を指摘する。第4章では、ではわれわれは如何にして「退屈」に接すればいいのか、を考えている。この章は題して「退屈の倫理」とされている。
著者の態度は基本的にカント的なもので、問題に対して解決を与えるのではなく、問題を通して人間の限界を見出そうとする。伝統的な意味づけのシステム(ここではキリスト教の神)が崩壊し、人間が自分自身でおのが生に意味づけを与えなければならない近(現)代の状況のなかで、過度な「意味の欲求」が、生を「退屈」か「面白いもの」かの絶対的な二者択一に追い込んでいく傾向を指摘し、小さな事件の連続としての、退屈とともにある小さな生を肯定する態度を、ごくつつましやかに主張している。その主張はきわめて凡庸なものだが、しかし過剰な情報と変化にまみれた現代を生きるわれわれにとっていまや退屈がひとつの「贅沢」であるとさえ思われるほど生きるのに忙しい昨今、このような小さな生の肯定は必要なものであると思う。
また、この本では哲学・思想はもとより文学・映画などにいたるまで非常に多くの作品が引用、分析されており、「退屈」の主題をめぐるアンソロジーのような体裁にもなっており、巻末の300におよぶ注釈も充実していて、そういう面でも非常に楽しめる内容になっている。難点を一つ指摘すると、訳者による解説がないので、著者に関する詳しい情報や本書が上梓されベストセラーとして受容された状況といったようなことがまったくわからないということで、翻訳書としてはちょっと不親切ではなかろうか。とはいえ、こういった翻訳ものの哲学的エッセーを単行本ではなく新書で出してくれたことは非常にありがたい。