7歳の時に母親が乳がんで亡くなって以来、著者はずっと悩み
続けていた。「人間はいったい何のために生きているのだろう
か?」「人間死んだら同じではないか?そもそも生きる意味
って何なんだろう?」ということだった。
大人に聞いても「君はまだ小さいから分からない」と言われるだ
けで、今でいう引きこもりに近い子供時代だったという。
高校生の時に坐禅に魅せられ、「日本で出家してお坊さんになる」
ことが、人生の目標となったという。
そして高校卒業後、本物の坐禅がしたいと、日本にやって来て、
3カ月間、仏教や坐禅を探したという。ところが坐禅のできるお
寺がなかなか見つからなかったという。本当の仏教はどこにある
のだろうか、と血眼になって探したという。
結局ドイツに戻り、ベルリン自由大学で学び、再度日本にやって
きたのが、22歳の時。以来著者の迷える禅修行が始まる。これ
ほどにも純粋に求める修行があるのか、すごいとしか言いようが
ない。
著者の言葉にしばしば、はっとした。ドイツ語と日本語という壁が
あるからこそ、相手に正確に伝えるために、このように明瞭な文
章が生まれたのだと思う。それはとても心地よい。
(本文より引用)
仏教は、「仏」になることを目指します。
「仏」とは、なくなった人のことを指すのではありません。
「仏」とはサンスクリット語で「ブッダ」といい、その意味は「目が覚
めた人」です。
「目」を覚ますのは、もちろん生きている間であり、死んでからで
は遅いのです。
「地に倒れる」とは、「現実の壁」にぶつかること。思えば私は、子
供の時から、生きていても何かと空しかったのです。ところが、そ
の原因を直視せず、その解決を中身のはっきりしない「悟り」に
求めました。しかしそれでは、「地に立つ」ことにはなりません。
「地に立つ」とは、つまり、目の前の現実を力いっぱい生きること
です。どこからかやって来るものを期待するのではなく、まず自
分自身をこの現実の中へと投げ込むことです。