啓発的である。「~は」を「主語」とし、文末語を「~。」で終える「文」が近代日本でいかにつくられてきたのかを歴史的に跡づけ、その思想的な意義、あるいは私たちのものの考え方に及ぼした影響などを説いていく。その表現方法は当時の日本人にとっては異常に新しいことで、それゆえ何かと右往左往があったらしい。これが本書のメイン・テーマである。西洋語(A)を日本語(B)に翻訳する過程で独自の新言語(C)、たとえば「現代口語文」や「外来語」が創造されるというのが著者の基本的な論理である(「A+B→C」の文化論)。
個人的には、この「主語」という「名詞」中心の翻訳文が勢力を拡大する近代の日本語と格闘しながら、自己の哲学を深めていった西田幾多郎がまず提唱した「述語論理」ついて考察されるところが最もおもしろかった。著者の翻訳論の立場からすると、その哲学は西洋的な論理というよりはむしろ、外からおもむろにやってきて権威をふりかざし始めた「翻訳語(文)」への批判としてあってのではないか、と思われるのだ。
その他、「漢字の造語力」という日本語の歴史を現代までつらぬく問題の検討など、興味深い話題は他にもある。短めの書物ながら、もっと思考を広げられそうな示唆に富むアイデアがいろいろ披露されている。