福沢諭吉の「脱亜入欧」という言葉に象徴されるように、日本は明治維新後、「遅れた」アジア的状況から一日も早く脱し、「進んだ」西洋諸国と同等の力を持つことを国民的目標に掲げ、「富国強兵」政策の実現に邁進した。
当時の日本にとって、アヘン戦争に敗北し、西洋諸国の帝国主義のまえに膝を屈しかのように見えた隣国、清は否定すべき存在と考えられた。
この中国に対する否定的な評価は、中国国内で盛り上がりつつあったナショナリズムに対する過小評価を日本の指導者層の中に生み出し、その後の日本の対中政策を誤らせる根本的原因となっていった。
さらに、この否定的中国観は、今日においても、日本の対中関係の桎梏となっている。
現代中国の指導的知識人の一人である汪暉(Wang Hui)の主著の邦訳『近代中国思想の生成』は、そのような通俗的な中国観を払拭し、日本にとって「近くて、遠い隣国」となっている今日の中国の自己理解、アイデンティティ探求の現在の到達点を伝える、最良の作品となっている。
とりわけ、近代を巡る西洋思想を十分に咀嚼した上で、西洋近代のパラダイム(「近代」=ネイションステート+市場経済)では、「中国」とその近代を的確に捉えることは出来ないことを明らかにし、新たな概念装置(初期近代、システム横断的社会など)をもって、西洋近代の相対化と中国の近代の独自の概念化を敢行している箇所は、この本の白眉である。
明治維新以降、西洋近代の忠実な模倣者となることを目指してきた日本は、西洋近代自体が限界に直面し、変質し始めた1980年代以降、急速に混迷の中に落ち込み、今日に至るまで、新たな「国のかたち」を見出すことができていない。
そのような日本の私たちにとって、『近代中国思想の生成』は繰り返し参照する価値のある良書である。