理性/対話(ディスクルス)を中核とする近代(モデルネ)を信じるハーバーマスの誠意溢れる論説が収録されています。アウシュビッツを深く反省した西独が、忘却により右傾化し、東独の性急な併合によって、古来のナショナリズムに戻りつつあった90年代を、地道な言葉で批判し、警告を与えてくれています。
小生の印象に残った点は以下です。
・1983年の米国の中距離核ミサイル配備に反対して、独市民が不服従行動(新兵入隊式抗議デモ)に出たのは、規則違反かもしれないが、民主主義にとって大事なこと。米国の道徳学者ジョン・ロールズは以下の3条件で正当なものとした。
(1) 重大な不公正がおきている個々のケースに向けられたもの
(2) 成果が期待できるさまざまな合法手段が試みられ、それらの可能性が尽きた場合
(3) 憲法秩序全体の機能を脅かす規模になってはならない。
国家が承認に値する原理に依拠していない場合は、市民は法に服従する必要はない。ナチスも合法的に誕生した。
・東独は併合するのではなく、東独の人々に自由な対話の時間を与えるべきだった。「同じ民族なのだから併合する」では、再びナチスのような他の民族への差別・迫害が起きてしまう。"うっとうしさと深遠さのドイツ的ごちゃまぜ"に戻ってはならない。
・レーニンの"社会"主義の下の東独政府(シュタージ)の言論弾圧や壁越え者射殺と、ナチスのユダヤ人虐殺とをまぜこぜにすべきではない。後者の方が、前者よりマシだったという右翼の論調では、折角、民族を超えて民主化に向かった西独の努力が無に帰することになってしまう。
・1992年に旧東独の港町ロストックでベトナム人/ロマ人などのアパートが右翼の焼討ちに合い、ドイツ人ヴォランティア含め、閉じこめられ焼死の危険があった(屋根越しに辛うじて脱出した)。地元民は、ソーセージ屋等の出店を出してこれを喜んで見物した。地元の警察も消防もこれを見て見ぬ振りをし、ドイツ政府も非難しなかった。この件を非難したハーバーマスの知人は、議員から総スカンを喰らった。西独の右翼にとって、東独の合併は外国人を排斥するナショナリズムの好契機となった。
ドイツでも、理性や対話を軽視する、動物的なナショナリズムが、東独併合を機に台頭していたことを初めて知りました。ドイツは、日本と同様、国家/民族が、自治/自主性より優先しがちな動物的危なさを持っているようです。ハーバーマスのように危険に気付いた人々が情報発信し、連帯していくことが時代を救うのではないかと小生も思います。