縄文に関しては「完新世の日本列島に現われた新たな生態環境に適応した諸地域文化を、穏やかに縄文文化とくくって理解する」というのがまとめになるでしょうか(p.42)。弥生に関しては、縄文と弥生に関しては継続性を重視する描き方。「おわりに」で弥生は旧石器、縄文、古墳時代と比べて、地域ごとの文化的差異が大きく、どこでも刻々と社会変遷をとげているのが特徴で、森林性新石器時代文化の縄文と、古墳時代への変化の課程として理解するのが穏当か、というあたりも納得的。日本列島では夏場に台風が来襲すればコメの収穫が見込めなくなってしまうので、登呂遺跡ではモモ・ヒョウタン類・マクワウリといった夏の果実類と、ドングリ・クルミ、クリ・トチノキといった秋の堅果類、それにマメ類やムギ類といった畠作物と組み合わせて危険を回避していたというあたりも興味深かった(p.71)。
また、昔は「何に使ったのかよくわからない」とされてきた銅鐸ですが、《繰り返し舌が打ち付けられて内面突帯が磨り減っている例が認められ》るなど音響具であり(p.114)、銅鐸が打ち鳴らされる中で、物語が吟じられて、豊穣を祈る農耕儀礼のパフォーマンスが繰り広げられていたのであろうというところまで、今では確信に満ちて書かれるんだな、と思いました(p.116)。
ハイライトはヤマト王権の成立のあたり。三雲南小路遺跡は福岡県糸島市にあるのですが、「糸島」は元は怡土郡(いとぐん)と志摩郡(しまぐん)にわけられる、と。さらに、この怡土郡は魏志倭人伝に出てくる伊都国の読みが引きつがれている、と。そして伊都国は王を持ちながらも「皆女王国に統属す」という記述があるので、邪馬台国は北部九州以外にある蓋然性を示しているのではないか、というあたりもいいかな。