内容(「BOOK」データベースより)
エコロジカルで宇宙的なバイオダイナミック農法の基本文献が丁寧な訳と編集でついに現代に甦りました。
内容(「MARC」データベースより)
ヨーロッパ、アメリカその他の地域で広く知られ、高い実績をあげているバイオダイナミック農法を、はじめて提案したシュタイナーの講義録。87年人智学出版社刊を新たに訳出、丁寧な編集で甦らせる。
メディア掲載レビュー
エコロジカルで宇宙的なバイオダイナミック農法の基本文献が丁寧な訳と編集でついに現代に甦りました。 --【帯】
初めてこの書の邦訳が出たころは、日本の有機農業法の揺籃期で、まだまだ先の見えない試行錯誤の時代であった。私たちがこの書によって、人智学を基礎とするバイオ・ダイナミクスの思想を実践者に紹介しようとしたのは、そこから、将来を開くための広い視野が得られることを期待したからである。しかし今この書を選び読む人たちは、その後の無農薬農業の状況と社会の現状とを知悉した上で、当時とはまた別の要求から、この書を必要とされているのだと思われる。訳者は二十年近い時の流れがこの書の価値をさらに高め深めていることを、このことからも察知でき、非常に感慨深いものがある。 --【訳者あとがき】から
みなさんはここで一つのことを考えてみなければなりません。それは今日、実際には誰も、肥料を与えることについて、その本当の意味を理解していないということです。もちろん施肥は古い時代からの伝統にしたがって、直観的に行われています。しかし施肥の本質を理解するということは、今日、本当の意味では誰ひとりしていないのです。肥料が農地にとって何を意味するかを―霊的な立場からこれを把握する人を除いては―誰も知っておらず、また肥料がなぜある土地に不可欠であるか、そしてどのように扱わなければならないかを知っている人もおりません。たとえば、私が話をしましたあの農作物の退化、ないしはその品質の下落に決定的な役割を果たしたのが鉱物性肥料(化学肥料)であることを知っている人はおりません。なぜならば今日、誰でもごく単純に「植物の生長には、一定量の窒素が必要だ」と考え、この窒素がどのようにして作られ、どこから得られるかということにはまったく無関心でいるのです。ところが窒素がどこから得られるかはけっしてどうでもよいころではなく、じつは空気中に酸素とともにある生命のない窒素と、もう一つの別種類の窒素との間には、大きな違いがあるのです。みなさんは、生きて歩きまわっている人間と、死骸つまり人間の死体との間に違いのあることを、否定なさりはしないでしょう。一方は死んでおり、もう一方は生命をもち生き生きとした魂に満たされています。
同様のことが、例えば窒素についても、またその他の元素についてもいえるのです。死んだ窒素というものが存在するのです。これは私たちを取りまく空気の中にあり、酸素と混ざりあっているそれであって、この窒素は私たちの呼吸作用、ならびに私たちと空気との共存の営みに、一つの役割を果たしています。この窒素は生命をもっていてはいけないのですが、その理由は簡単で、もし私たちが生きている空気の中で生活することになるとすれば、私たちはつねに失神状態でいることになるからです。空気が死んでいるということ、つまり酸素が死んでおり窒素が死んでいるということは、人間が空気中に住んで呼吸し、しかも意識をもち明晰に思索することができるための条件なのです。
肥料とともに地中に入らねばならない窒素は、全宇宙の働きかけのもとで形成されねばならず、生命をもった窒素でなければなりません。
このようにして相異なった二種類の窒素が存在します。一つは地球の表面より上にある窒素であり、もう一つは地球の表面より下にある窒素です。前者が死んだ窒素であり、後者は生きている窒素なのです。
同様のことが、すべてに当てはまります --【抜粋】本文から
初めてこの書の邦訳が出たころは、日本の有機農業法の揺籃期で、まだまだ先の見えない試行錯誤の時代であった。私たちがこの書によって、人智学を基礎とするバイオ・ダイナミクスの思想を実践者に紹介しようとしたのは、そこから、将来を開くための広い視野が得られることを期待したからである。しかし今この書を選び読む人たちは、その後の無農薬農業の状況と社会の現状とを知悉した上で、当時とはまた別の要求から、この書を必要とされているのだと思われる。訳者は二十年近い時の流れがこの書の価値をさらに高め深めていることを、このことからも察知でき、非常に感慨深いものがある。 --【訳者あとがき】から
みなさんはここで一つのことを考えてみなければなりません。それは今日、実際には誰も、肥料を与えることについて、その本当の意味を理解していないということです。もちろん施肥は古い時代からの伝統にしたがって、直観的に行われています。しかし施肥の本質を理解するということは、今日、本当の意味では誰ひとりしていないのです。肥料が農地にとって何を意味するかを―霊的な立場からこれを把握する人を除いては―誰も知っておらず、また肥料がなぜある土地に不可欠であるか、そしてどのように扱わなければならないかを知っている人もおりません。たとえば、私が話をしましたあの農作物の退化、ないしはその品質の下落に決定的な役割を果たしたのが鉱物性肥料(化学肥料)であることを知っている人はおりません。なぜならば今日、誰でもごく単純に「植物の生長には、一定量の窒素が必要だ」と考え、この窒素がどのようにして作られ、どこから得られるかということにはまったく無関心でいるのです。ところが窒素がどこから得られるかはけっしてどうでもよいころではなく、じつは空気中に酸素とともにある生命のない窒素と、もう一つの別種類の窒素との間には、大きな違いがあるのです。みなさんは、生きて歩きまわっている人間と、死骸つまり人間の死体との間に違いのあることを、否定なさりはしないでしょう。一方は死んでおり、もう一方は生命をもち生き生きとした魂に満たされています。
同様のことが、例えば窒素についても、またその他の元素についてもいえるのです。死んだ窒素というものが存在するのです。これは私たちを取りまく空気の中にあり、酸素と混ざりあっているそれであって、この窒素は私たちの呼吸作用、ならびに私たちと空気との共存の営みに、一つの役割を果たしています。この窒素は生命をもっていてはいけないのですが、その理由は簡単で、もし私たちが生きている空気の中で生活することになるとすれば、私たちはつねに失神状態でいることになるからです。空気が死んでいるということ、つまり酸素が死んでおり窒素が死んでいるということは、人間が空気中に住んで呼吸し、しかも意識をもち明晰に思索することができるための条件なのです。
肥料とともに地中に入らねばならない窒素は、全宇宙の働きかけのもとで形成されねばならず、生命をもった窒素でなければなりません。
このようにして相異なった二種類の窒素が存在します。一つは地球の表面より上にある窒素であり、もう一つは地球の表面より下にある窒素です。前者が死んだ窒素であり、後者は生きている窒素なのです。
同様のことが、すべてに当てはまります --【抜粋】本文から
著者について
シュタイナー,ルドルフ
哲学博士。1861年旧オーストリア=ハンガリー帝国(現クロアチア)クラルイェベックに生まれる。1925年スイス・ドルナッハにて没す。ウィーン工科大学で、自然科学・数学・哲学を学ぶ。ゲーテ研究家・著述家・文芸雑誌編集者として、世期末のウィーン、ワイマール、ベルリンで活躍。二十世紀になると、このような一連の活動の成果を踏まえて「アントロポゾフィー(人智学)によって方向づけられた精神科学」へと足を踏みいれる。スイス・バーゼル市近郊ドルナッハにみずから設計したゲーテアヌムを建設し、普遍アントロポゾフィー(人智学)協会本部とした
新田 義之
1933年生まれ、石川県出身。1958年東京大学教養学部教養学科卒。ノートルダム清心女子大学教授、東京大学名誉教授、学術博士
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
佐々木 和子
1945年生まれ、東京都出身。1967年東京教育大学(現筑波大学)理学部卒。毎年、ぽっこわぱ耕文舎発行の農事暦に翻訳協力
市村 温司
1942年生まれ、長野県出身。1967年早稲田大学第一文学部仏文科卒。1975年東京高等鍼灸学校(柔整、本科)卒。接骨鍼灸自家営業、農業実践。著書に『無血整復の基本』(東京ヴェレーダ出版部)、『嘔吐』(ヴェーク社)、詩集『欅』(ヴェーグ社)その他(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1945年生まれ、東京都出身。1967年東京教育大学(現筑波大学)理学部卒。毎年、ぽっこわぱ耕文舎発行の農事暦に翻訳協力
市村 温司
1942年生まれ、長野県出身。1967年早稲田大学第一文学部仏文科卒。1975年東京高等鍼灸学校(柔整、本科)卒。接骨鍼灸自家営業、農業実践。著書に『無血整復の基本』(東京ヴェレーダ出版部)、『嘔吐』(ヴェーク社)、詩集『欅』(ヴェーグ社)その他(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)