ひじょうに網羅的な心身論である。和辻哲郎、西田幾多郎、ベルクソン、メルロ=ポンティ、空海、道元(ヨーガや禅の修行)、フロイト、ユング、東洋医学や超心理学など多彩な知見が散りばめられている。ただ軸足は東洋的身体にあるため東洋的身体についてかなり詳述されているところもあるが、専門でない読者にもごく概括的な身体観は得られるだろうと思う。
特に気を引いたのは、西田哲学からヒントを得た「あかるい意識」と「くらい意識」の区別で、身体論的に言えば意識的行為を無意識的行為へ、いわば「落とし込む」ことで、東洋的、仏教的身体の特殊な身体運用を可能にする。たとえば最近の甲野善紀氏が展開している身体の古武術へのこうした応用がある。『古武術の発見――日本人にとって『身体』とは何か』(甲野善紀・養老孟司対談)
「結論」で氏はこう述べている。「われわれはここで、おそらく『内的世界の現象学』あるいは『深層意識の現象学』とよぶことのできるような新しい哲学を必要としている。それは自我意識の明確な必当然性を分析してゆく現象学ではなくて、無意識の底に隠された真の自己の本性を探求する過程に見出される人間経験の意味について考察する。」(P337〜338)
第二章の「修行と身体」で道元の只管打坐による修行・訓練の身体論が詳述されているが、身体の心への超越、つまり身体の優位が道元の根本思想だという。たしかにそのとおりだが、評者は、『正法眼蔵』「第十三巻海印三昧」における身体の言及、つまり身体とは時間であるという、身体の空間性を逆転させたこの辺りの身体論の鋭い洞察に一切触れられていないのでやや物足りない感は否めない。