『論語』の孔子ですが、正直、好きな人物ではありませんでした。
「四十而不惑」
四十にして惑わず。
いやいや、四十の自分を思い浮かべても、とてもそのような境地には辿りつけそうもありません。
『論語』は、神仙のような方の語録であり、私の生活とは関係のないものなのだ。
そんな気持ちを抱いていました。
しかし、この本、表紙からして、アンチ論語の私を惹きつけます。
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※表紙からの引用※
「四十にして惑わず」、漢字のみで書けば「四十而不惑」。字数にして五文字。
この五文字の中で孔子時代には存在していなかった文字があります。
「惑」です。五文字の中で最も重要な文字です。
この重要な文字が孔子時代になかった……
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そして、本文において、当時の文字から論語を紐解くという試みが成されています。
新たに私の眼前に現れた『論語』の文章にも驚いたのですが、著者である安田登の発想方法には脱帽せざる終えません。
当時の文字で考える、確かに言われてみれば当然のこと。
しかし、高校大学での漢文の授業ではそのような読み方は一度も紹介されませんでしたし、私も当時の文字で考えようとは思いつきもしませんでした。
読後、アンチ論語の私が宗旨替えをしたことは言うまでもありません。