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16 人中、16人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
現代史を感じ取れる稀有なサッカー・ノンフィクション,
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レビュー対象商品: 蹴る群れ (単行本)
木村さんを有名にした『オシムの言葉』では、イビチャ・オシムというフットボーラーの半生から、ユーゴスラビアの抱えていた問題やサッカー観の歴史が映し出されたように、この『蹴る群れ』では特定のフットボーラー(あるいはチーム)のそれまでの苦闘から、その国や民族、地域の歴史が映し出されている。そして、取材対象がジダンやロナウジーニョなどのような、他のジャーナリストも取材するような“ありきたり”な人物ではない。 例えば、イルハン・マンスズの半生は、ドイツ在住トルコ移民の苦悩そのものだと感じたし、デヤン・サビチェビッチは、セルビアからの独立か否かに揺れるモンテネグロの歴史そのものだ。 また、ハンス・フォルクは、南アフリカで生まれ、オランダで育ち、プロになり、再度南アフリカ代表としてフランスW杯に出場したGKである。このときの監督はフィリップ・トルシエで、白人はこのふたりだけ。 サッカーを通じて、黒人のフィールドプレーヤーと戦う集団を作っていく様は、人種差別の解けた南アフリカの縮図のように思える。 世界だけでなく、日本でもアプローチは一緒だ。 Jリーグでも監督となったハシェックやアルディレスも重き運命を背負っていた。 サッカーをやったことが無いのに、宮城県塩釜市にサッカー少年団を立ち上げ、元日本代表の加藤久さんを育てた小幡忠義さんは、塩釜のサッカー史そのものだ。 在日朝鮮人の金さんから在日朝鮮人の不遇の歴史や、'70年代から'80年代の高校サッカーの「裏の歴史」を読み解ける。 旧ユーゴを長年に渡り取材したり、戦渦の中でイラク代表に同行取材したりする日本人は、木村さんぐらいだろう。 コラムニストのえのきどいちろうさんが「現場の踏み方が違う」と評していたが、この本を読むと実感できると思う。 時代に抗って生きてきた「フットボーラーの半生」と読むこともできるだろうし、その背後にある「国の現代史」を描いたノンフィクションとも読むことができるだろう。いずれにしても、これだけはっきりと現代史を感じ取れるサッカー・ノンフィクションは、なかなかない。
22 人中、21人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
旧ユーゴ問題を追い続ける「町のニイちゃん」世界に目を向ける。著者は日本が誇るルポライターだ。,
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レビュー対象商品: 蹴る群れ (単行本)
日本ではあり得ないことだが、世界ではサッカーと政治、宗教、民族、人種が密接に絡みあい、切り離すことのできない関係にある国が多い。というか、そうではない国の方が少ないのかもしれない。また、日本人にとって、サッカーを楽しむということは、数ある選択肢の一つに過ぎない場合が多い。熱狂的なサポーターであっても、サッカーが命や誇りをかける対象にまでなっていることはそうないであろう。しかし、ある国の国民にとって、代表(あるいはクラブ)チームは、自分達のアイデンティティーをかけた存在になっている。これらの視点からサッカーを捉えたルポは、海外のジャーナリストによってかなりの数が発表されているが、わが国において、こういった視点で作品を発表し続ける人物は、著者くらいなのではなかろうか。しかも、その出来は海外作品に引けを取るものではない。 海外作品の多くが報道機関の記者的な高みからの目線で描かれているのと対照的に、著者の作品は、その数少ない作品で度々主張しているように「町のニイちゃん」の目線で描かれている。ニイちゃんとして怒り、笑い、泣き、そしてニイちゃんとして考えるのである。 著者は同じテーマをずっと追い続けている。崩壊した旧ユーゴだ。すべての作品を読めば分かることだが、その姿勢は既にジャーナリスト的興味の範疇を超えている。ある種の使命感みたいなものすら感じる。 本作は、様々な雑誌へ寄稿(ということは出版社からの依頼ではないのか?)したルポ17編をまとめた作品なので、一編一編は短い。一般的に有名な人物は殆ど登場しない。しかし、質的なボリュームは大変なものだ。読み応えがある。 著者は日本が誇る「町のニイちゃん」、そして「ルポライター」である。これからも全世界を駆け巡って欲しい。
38 人中、35人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
「悪者見参」に並ぶ素晴らしい1冊,
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レビュー対象商品: 蹴る群れ (単行本)
ベストセラーとなった「オシムの言葉」よりも早くから7年を費やし取材されたこの書には、耐え難い程の苦境や波瀾を幾度も乗り越えサッカーに尽きることのない情熱を捧げてきた人々の17篇のエピソードが収められている。その17篇はどれもが1冊の密度を湛え頁をめくるたびに多様な発見をもたらし、読後に忘れ難い余韻を残す。例えば第1話では、日本代表をドーハで失意のどん底に陥れたイラク代表の'04〜'06年までが描かれている。「日本に負ければ鞭打ちが待っていた」「日常的にフセインの弟ウダイによる拷問が行われていた」という風説がまことしやかに流れ、ともすれば我々は検証することも無くそれを事実として受け入れてしまいがちだ。しかし巷を跋扈するこの種の噂と裏腹に、絶望的な状況と闘いながらも希望に溢れアテネの夢へ疾走してゆくイラクサッカーの姿が鮮やかに描きだされている。 例えば第5話では、元ヴィッセル神戸監督イワン・ハシェックが登場する。幼い頃、ソ連のチェコスロバキア軍事侵攻(プラハの春)による粛清のなかを生き抜き、サッカーボール14個という契約金でスパルタプラハと契約(当時15才)した彼は、やがてチェコ代表に登りつめ国民的英雄となる。そして'89年に起きた民主化運動"ビロード革命"の真只中、75万人の民衆の前に立ったハシェックは・・・ 驚きを禁じ得ないドラマが次から次へと続いてゆき、戦争、差別、貧困、商業主義、サッカーを切り刻もうとするあらゆる困難に打ち克ってゆく人々の逸話に時間を忘れて読み耽ってしまう。 この書はそれだけではなく、テーマを重層的に織り込んでいるようにも思える。 日本代表にドーハの悲劇をもたらしたイラク代表から始まり、ライバルとして共に凌ぎを削ってきた在日朝鮮サッカーを経て、南アフリカ代表GKハンス・フォンクとの対話の中で語られるトルシエへと連なる構成は、また異端者の物語とも言える。異郷に於いて異端と呼ばれながら生き抜く者は、同時に呼ぶ者たちのアイデンティティーを揺さぶり、対峙する他者がいてこそ自らも存在し得るということを気付かせてくれる。だが、トルシエを忘れジーコをも忘れようとしているかに見える日本サッカーは、日本人或いは日本サッカーの脆さを痛烈に指摘したトルシエの記憶が残る地である南アフリカをいま目指している。思えば日本人は様々なことを忘れ去りながら生きて来たのかもしれない。忘却と不寛容はよく似ている。「蹴る群れ」は、目を覚ませと囁くかのようにその現実へと誘う。困難に向き合う限りそこに停滞は無い、そこにしか未来はない、という確信と共に。
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