木村さんを有名にした『オシムの言葉』では、イビチャ・オシムというフットボーラーの半生から、ユーゴスラビアの抱えていた問題やサッカー観の歴史が映し出されたように、この『蹴る群れ』では特定のフットボーラー(あるいはチーム)のそれまでの苦闘から、その国や民族、地域の歴史が映し出されている。
そして、取材対象がジダンやロナウジーニョなどのような、他のジャーナリストも取材するような“ありきたり”な人物ではない。
例えば、イルハン・マンスズの半生は、ドイツ在住トルコ移民の苦悩そのものだと感じたし、デヤン・サビチェビッチは、セルビアからの独立か否かに揺れるモンテネグロの歴史そのものだ。
また、ハンス・フォルクは、南アフリカで生まれ、オランダで育ち、プロになり、再度南アフリカ代表としてフランスW杯に出場したGKである。このときの監督はフィリップ・トルシエで、白人はこのふたりだけ。 サッカーを通じて、黒人のフィールドプレーヤーと戦う集団を作っていく様は、人種差別の解けた南アフリカの縮図のように思える。
世界だけでなく、日本でもアプローチは一緒だ。
Jリーグでも監督となったハシェックやアルディレスも重き運命を背負っていた。
サッカーをやったことが無いのに、宮城県塩釜市にサッカー少年団を立ち上げ、元日本代表の加藤久さんを育てた小幡忠義さんは、塩釜のサッカー史そのものだ。 在日朝鮮人の金さんから在日朝鮮人の不遇の歴史や、'70年代から'80年代の高校サッカーの「裏の歴史」を読み解ける。
旧ユーゴを長年に渡り取材したり、戦渦の中でイラク代表に同行取材したりする日本人は、木村さんぐらいだろう。 コラムニストのえのきどいちろうさんが「現場の踏み方が違う」と評していたが、この本を読むと実感できると思う。
時代に抗って生きてきた「フットボーラーの半生」と読むこともできるだろうし、その背後にある「国の現代史」を描いたノンフィクションとも読むことができるだろう。いずれにしても、これだけはっきりと現代史を感じ取れるサッカー・ノンフィクションは、なかなかない。