自転車で転倒し救急搬送された男性が、治療を受けタクシーで帰宅する。
誰も出迎えない家に入り、誰もいないベッドに身を投げ出す。
室内の闇の中に白く浮かび上がるタイトル『THE SOLOIST』。
ここまでの映像では、彼こそが『ソリスト』のように見える。
顔の半分に酷い傷を負ったまま、職場に出勤する男性。
人気コラムニストの彼のPCには、多くの読者からお見舞いメールが届いている。
そう、彼は自分の災難さえ売文として切り売りしているのだ。
ただひたすら使えるネタを探すだけの毎日。ひとりきりで。
ある日、ベートーヴェン像の下でヴァイオリンを弾くホームレス、ナサニエルと出会う。
好奇心剥き出しで近付き握手を求めるが、逆に警戒されてしまう。
しかしナサニエルが漏らした『ジュリアード』という言葉に驚き、裏を取り始める。
結果、確かにナサニエルは2年程在籍していた。
何故超一流の音楽院に入学できた実力者が、今は路上で生活しているのか?
主人公はナサニエルを題材に連続のコラムを書き始める。
しかしナサニエルの精神は不安定で、だんだんと主人公の手に負えなくなる。
コラムの反響で増額された市のホームレス対策予算すら、救済ではなく逮捕に使われる。
施設に入るのを嫌がる彼を“救う”には、具体的にどうしたらいいのか。
ジャーナリストとしての一定の距離を超えてしまった主人公は苦しみ始める…
溺れる者を救おうと手差し伸べた者が、死に物狂いで掴み返され、
共に溺れそうになった時、果たして手を振り払わずにいられるだろうか。
振り払う事は罪だろうか。そして、溺れる者にはそれを責める権利があるだろうか。
「カメラを回すより目前の人を助けろ」と言われがちなジャーナリストの、
「これを世に出す事でもっと多くの人が助かる」と言いがちなジャーナリストの、
永遠のテーマでもあるかも知れない。
人はみな、その人生においてソリストだ。
だが時に、信頼と愛情によって他人とハーモニーを奏でる事が出来る。
ふたりの握手には、そういう意味があったと思う。
ロス・フィルのリハを見に行ったナサニエルは、音を色を伴った光として感じる。
これがディズニーのアニメ映画『ファンタジア』に似ていて、微笑ましかった。
私も一度だけ、ゲルギエフ指揮の『1812年』で同じような体験をしたことがある。
神の国の音楽だと思った。ナサニエルは常にそんな世界に生きているのだ。
主人公の離婚、というのは創作で、モデルのコラムニストは家庭円満だそうだ。
孤独な者同士、という設定を活かす為には、いい判断だったと思う。
また、この映画はナサニエルの幻聴や、ホームレスが集団で口々に叫ぶシーンで、
いくつもの声が重なっている為、字幕派の方も一度は日本語吹替+日本語字幕で
観る事をお勧めしたい。最近何本かの映画でこれをやったが、情報量の違いに驚く。