本書は現政権による不法且つ不条理な幽閉生活のうちに不遇の死を遂げた趙紫陽が、極秘裏に残した録音テープのモノローグを国外に持ち出して書物に纏めたものである。従って読み始めるときには、さぞや現政権に対する糾弾や怨念が語られているのだろうと予想するのだが、意外なことにその語り口からは、おどろどろしい恨みや呪詛は全く感じられない。むしろ読後の後味には、ある種の明るささえ漂うのだ。
それはきっと、大中国の最高位にまで上り詰めた者が、驚くほどあからさまに自らの思想的変遷を吐露しているその率直さが好感を呼ぶためなのだろう。
最高権力者ト小平のバックアップによって国務院総理(首相)の座に着くまで、趙紫陽は教条的計画経済の低生産性を正す経済改革には大いなる熱情と使命感を持って邁進したが、政治的心情においては唯物史観に縛られたプロレタリアート独裁の共産主義の絶対性に些かの疑いも持っていなかった。
ところが最高指導者として国家を仕切ってみると、真に健全な経済繁栄達成のためには、経済だけを市場原理に委ねて政治社会面で硬直的な共産主義体制を強いたのでは駄目だということに気が付く。市場経済を健全に発展させるには、多元的な価値観を受け入れる事ができ且つ透明性の高い民主主義社会の建設が不可欠だという考えに傾倒していった。それは、経済は市場原理に委ねるが政治面では断固として共産党独裁体制を押し通すト小平の思想からの乖離の始まりだった。そして天安門事件を迎えその処置を巡る政治駆け引きに敗れた趙紫陽は、他ならぬト小平の手によって失脚させられ爾後16年に及ぶ幽閉生活を強いられる。
だが興味深いのは、趙の思想が深化して、望ましい国家のあり方は、結局は議会制民主義を基本とする自由な民主主義国家だという結論に信念を持って到達したのは、幽閉生活に入ってからの思索の成果であることを自ら認めているように見える事だ。
本書は誰よりも、ト小平の敷いた社会主義市場経済という自己矛盾に満ちた国家像を、未だにひたすら追い求め続けている中国現政権の最高指導者達に献上したいものである。