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15 人中、14人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
趙紫陽の思想遍歴を辿る,
By 紙魚子 "紙魚生" (流山市) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 趙紫陽 極秘回想録 天安門事件「大弾圧」の舞台裏! (単行本)
本書は現政権による不法且つ不条理な幽閉生活のうちに不遇の死を遂げた趙紫陽が、極秘裏に残した録音テープのモノローグを国外に持ち出して書物に纏めたものである。従って読み始めるときには、さぞや現政権に対する糾弾や怨念が語られているのだろうと予想するのだが、意外なことにその語り口からは、おどろどろしい恨みや呪詛は全く感じられない。むしろ読後の後味には、ある種の明るささえ漂うのだ。それはきっと、大中国の最高位にまで上り詰めた者が、驚くほどあからさまに自らの思想的変遷を吐露しているその率直さが好感を呼ぶためなのだろう。 最高権力者ト小平のバックアップによって国務院総理(首相)の座に着くまで、趙紫陽は教条的計画経済の低生産性を正す経済改革には大いなる熱情と使命感を持って邁進したが、政治的心情においては唯物史観に縛られたプロレタリアート独裁の共産主義の絶対性に些かの疑いも持っていなかった。 ところが最高指導者として国家を仕切ってみると、真に健全な経済繁栄達成のためには、経済だけを市場原理に委ねて政治社会面で硬直的な共産主義体制を強いたのでは駄目だということに気が付く。市場経済を健全に発展させるには、多元的な価値観を受け入れる事ができ且つ透明性の高い民主主義社会の建設が不可欠だという考えに傾倒していった。それは、経済は市場原理に委ねるが政治面では断固として共産党独裁体制を押し通すト小平の思想からの乖離の始まりだった。そして天安門事件を迎えその処置を巡る政治駆け引きに敗れた趙紫陽は、他ならぬト小平の手によって失脚させられ爾後16年に及ぶ幽閉生活を強いられる。 だが興味深いのは、趙の思想が深化して、望ましい国家のあり方は、結局は議会制民主義を基本とする自由な民主主義国家だという結論に信念を持って到達したのは、幽閉生活に入ってからの思索の成果であることを自ら認めているように見える事だ。 本書は誰よりも、ト小平の敷いた社会主義市場経済という自己矛盾に満ちた国家像を、未だにひたすら追い求め続けている中国現政権の最高指導者達に献上したいものである。
26 人中、21人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
“1989年6月4日”−世界は歴史の涙を忘れない−,
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レビュー対象商品: 趙紫陽 極秘回想録 天安門事件「大弾圧」の舞台裏! (単行本)
趙紫陽と胡耀邦、彼ら二人は共に“21世紀の超大国”の指導者としてシンボライズされた人物だった。建国以来、毛沢東・劉少奇・周恩来・トウショウヘイ・華国邦と続いてきた長老達とは異なり実務畑出身の新たな指導者だった。78年の『4つの近代化』を現実の形とすべくトウショウヘイ(“トウ”が文字化けするのでカタカナ表記とする)が次期指導者として指名したのもこの二人だった。 けれども中南海の守旧派は彼らの改革開放政策、例えば香港に見られる一国二制度のシステムを共産主義の建前から全面的に否定した。 そして中国国内で経済的に一応の安定が取り戻され、次に国民の目が向かったのは東欧諸国から始まる“ヴェルヴェット革命”の流れを受けた『政治的自由の獲得』へと向かう。 1989年6月4日、天安門広場でハンストを続ける市民や学生達の前に現れ彼らに銃口を向けたのは他ならぬ人民解放軍の姿だった。不測の事態を予測し彼らの身の安全を何よりも優先に考えて趙紫陽が行ったのはメガホンを手に涙ながらに“解散”を群衆へと訴えることだった。そして彼が危惧したとうり、その夜半に二人のバックボーンとなるべきはずのトウショウヘイの指示による“鎮圧”が行われ、多くの血が流されたことは記憶の上でも新しい。 事件が起こる以前、趙紫陽はもう一つの大国ソ連の新しい指導者M・ゴルバチョフと会談し“人間の顔をした社会主義”の構築とその希望を知る。以来、趙紫陽は国内で精力的に“改革”を推し進めていく。しかしそれは同時に彼ら“新人類”にとって政治生命の危機にも繋がりかねない諸刃の剣だった。 事件の後、“中国の星”は政治局員の肩書きを除いた全ての政治的指導力を剥奪され、歴史の表舞台から姿を消す。けれども彼らの希望の灯は消えることなく次の世代へと引き継がれていく。 この本はそうした“中南海の皇帝達”と“中国の星”を巡る“中国現代史”である。国際社会の中での中国の青写真を作ろうとした世代と原則に固執した長老達、その結果がもたらしたものは“歴史の涙”だった。
5 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
「そうでない選択肢」がありえたか、歴史の"if"の難しさ,
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レビュー対象商品: 趙紫陽 極秘回想録 天安門事件「大弾圧」の舞台裏! (単行本)
1989年6月4日の天安門事件までの動乱の一ヶ月半、国政のトップである中国共産党総書記・趙紫陽その人が、動揺する党指導部内の緊迫した争いと、自らが孤立し失脚する過程を具体的に報告する。トウ小平や李鵬との激しい遣り取りなど、当事者しか知りえない事実が明かされ、趙が、あくまで学生の武力制圧に反対し、信念を貫いた立派な人物であることが分る。中国政治体制の民主化の先駆者として、彼が再評価される日が早く来てほしい。だが、本書で意外に思われるのは、趙が学生デモを体制の危機とは見ておらず、収拾を楽観視していたことである。李鵬が画策した4月26日の人民日報社説が事態を悪化させたので、社説を撤回・修正すれば事態は収まると趙は考えた。しかし89年6月の天安門事件を、ソ連・東欧の共産圏大崩壊の歴史と重ねるならば、現状認識で趙と対立した党指導部にも一理ある。85年就任のゴルバチョフ・ペレストロイカにより、89年6月にはポーランドで自由選挙、8月にはハンガリー国境からの住民の西側脱出、12月にはベルリンの壁崩壊、91年にはソ連が崩壊した。そして天安門事件直前の5月17日には、北京の大混乱の中でゴルバチョフ・趙会談が行われた。トウ小平自宅での緊急会議で戒厳令が決定されたのが、まさにその同じ17日。しかし、出動した中国軍の兵士は市民の抵抗によって北京市内に入れず、戒厳令は有名無実化した。おそらく趙以外の党指導部は、この事態を、東欧圏の動きと重ね合わせて畏怖したに違いない。政府の幹部職員も多数加わるデモ隊は「打倒、トウ小平!」「趙紫陽を支持しよう!」等のプラカードを掲げて、堂々行進している。趙は、「全人代(国会)」を開いて事態を収拾しようとしたが(p80)、手遅れであった。本書は、あっという間に悲劇が不可避になる過程を我々に突きつける第一級の歴史的資料である。
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