義憤が文学を産むという。
「桐とカステラ」のハイカラ趣味、絢爛の北原白秋が、大東京市第三貯水池の予定地として、水没の危機にさらされている多摩水源の山民の悲劇に感じて、夜を徹して成したと言う「厳冬一夜吟」
何ならじ霜置きわたす更(かう)闌けて小河内(おがうち)の民の声慟哭す
司らは閑(いとま)あれかも日に萎(しを)り人は餓うれど将たなげくなし(陳情隊に代りて)
小河内丹波山小菅こぞり生くべし山くだりしんしんと行け言挙げよ今は
一陣二陣三陣四陣潰え果てたり時すでに言挙げてきほふもの何ものもなし
行政の怠慢ゆえに五年間も農耕も商売もできず、投資もされず、困窮きわまった民が、寒風のもと「死を期して陳情」しようとし、警察隊に無慈悲に鎮圧されたことに憤り、白秋ですら義憤にかられてこういう歌を詠んだ。気取りも作為もなく、こころから民に同情して。
これらの歌に思いおこすは、
わが新潟県にも、昭和六十年に閉村し、ダムの底に水没した越後奥三面(みおもて)集落がある。三面の四十二戸の家々は、村上市に集団移転し、一部は豊栄市、新発田市、新潟市、関東へも移転したそうだ。水没前の写真に見る渓谷のなんといううつくしさ、なつかしさ。
ひとびとは、春夏は農耕、秋冬から春は山で猟をしたり木の実や山菜を採ったりして生活していた。『越後三面山人(やまんど)記』に詳しく記されている。
「山に生かされている」とも。山と自然と共生して生きていたのだ。
そぼくな猟師のことばに深く感銘をうける(そのもの新潟弁。文字ではアクセントが伝わらないのが惜しい)。
「まず、山の斜面を全部伐ってしまうなんていうのはオラには理解できねえことだぜ。全部伐ってしまえばもとにもどらねえんが。もっとも全部伐るっていうのは元に戻す気がねえからやるんだごで。営林署の衆がやる植林なんていうのはこのやり方だどもな。だけども、ここではそういうことはやらねえぜ。ここの人間は山を今の状態のままずっと続くようにって考えるものだんが。木の実がずっと生ってくれるように、山が衰えねえようにしてやらねば上手くねえもんだぜ。」
彼らは、山菜も小さいものは採らない。育てるために残す、川魚も小さいのは逃がす。子連れのクマは狩らない。さまざまな掟を作って、お互いに自己規制しながら、山の狩り場や獣を荒らさないように、保護するようにしてきた。
ここに重要な教訓がある。
科学技術の進歩により、いくら可能になったからと言って、壊してはいけない自然、山河があるのだということ。人間もそれによって生かされているのだということ。目前の欲に駆られて採り尽くしてしまっては、無くなってしまう、そうして自分たちも生きていけなくなるのだ、と。