ユングによる手書きのカリグラフィーと絵を再現するためとはいえ、
美術書と同じA4拡張サイズと高額な値段は、本書を心理学書とは言えない特殊な本にしてしまった。
内容に関してのレビューがほとんどない点でも、本書の特異さを如実に物語っているだろう。
本書を読んだ第一の感想としては、ユングの著作の中で最も難解な著作であると感じた。
それは、『ツァラトゥストラはかく語りき』がニーチェの著作でもっとも難解だと感じるのと同じ類の難解さである。
文体は寓話や神話の形式で書かれ、その内容は(ユングが「元型」と呼ぶ)無意識のイメージとユングが対話するものであり、
それを経験しない我々にとっては、単に物語以上の内容を把握するのに非常な困難を感じるであろう。
「序論」に以下のように解説してあるように、本書はニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を前提に書かれていると言える。
<P218>
そして、後者のような象徴的な作品の例として挙げられているのが、ゲーテの『ファウスト』の第2部であり、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』である。
ユングは、これらの作品が集合的無意識に由来するものであると理解していた。
また、「序論」には以下のように書かれおり、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』が占星術で言う「プラトン月」における「双魚宮時代」の終わりを告げ、
その代わりとなる神話を作ろうとする試みであったと言えるのではないだろうか。
この問題はニーチェ自身では解決できず、結果、ニーチェの晩年の狂気を予言する書となってしまった。
<P206>
しかし、ツァラトゥストラが神の死を宣言するのに対し、『新たなる書』は魂における神の再生を描いている。
一方、ユングはニーチェが取り組んだのと同じ問題に取り組み、自分の無意識と対話しながら本書を記述した。
このため、本書は占星術で言う「プラトン月」における「水瓶座時代(アクエリアス時代、宝瓶宮時代)」を告げる書であり、
かつユングの後期の著作にとっても始まりを告げる書となっており、原題に「新たなる書」と名付けた理由を伺わせる。
また、「エピローグ」には以下のように書かれているが、途中で筆が折られている。
<P405>
私はこの本に16年間にわたって取り組んだ。1930年に錬金術と出会ったことが、私をこの本から遠ざけた。
終わりの訪れは1928年にやって来た。そのときヴィルヘルムが、錬金術的な性格の小冊子『黄金の華の秘密』のテキストを私に送ってくれたのである。
その本の内容に現実への道筋を見出し、私はもはやこの本に再び取り組むことができなくなった。
上記に書かれたように、中国の錬金術書である『黄金の華の秘密』の翻訳に出会うことにより、本書に描かれたイメージが個人を超え、
更には西洋を超えた人類普遍のイメージであることに気づき、本書を未完のままとし、本書の出版を止めてしまっている。
その意味では、編者の以下の記述は言い過ぎであり、本書を完成させる代わりに、後期の著作を完成させた言っても過言ではないと思う。
(ユング自身本書の執筆中に自信が狂気に陥るのを危惧していたが、中国の錬金術書に出会わなかったとしたら、その晩年はニーチェと同じ狂気に陥ったかもしれない。)
<P227>
『新たなる書』を細かく検討しなければ、ユングの後半の仕事の起源を把握し、彼が達成しようとしていたものを十分に理解する地平に立つなど絶対にありえない。
その一方で、ユングの著作を読んできた読者にとっては、「監訳者後記」に書かれた以下の記述は十分に納得できる。
<P422>
ユングのことにある程度詳しい読者は、ユングが理論的に書いている著作が、ほとんど当時の体験に基づいていることに驚かされるであろう。
そればかりでなく、さまざまな著作で重要な象徴として取り上げているものは、ほとんど自分で体験していたことがわかる。
だからこそ、著作にあれだけの迫真性があったのだと気づかされる。
本書の購入を迷っているのであれば、個人的にはユング後期の著作こそが本書の解であり、それら多くの著作の方をお勧めしたい。
しかし、美術的価値や骨董と同様の価値を感じるのであれば、本書を購入しても「買って損した」と感じることはないであろう。
本書より価格の安い英語版や独語版を勧めるレビューがあるが、「監訳者後記」に書かれているように、本書(日本語版)は
英語版と独語版の2つを基にこれら2つの版の誤りを修正して作成されており、より完成版に近いと言えるのではないだろうか。
翻訳も、引用文献の翻訳を参照し、全編を通して高い質で翻訳されており、価格だけで無理に英語版を購入する意味はないと感じる。
細かな点、たとえば「ナンセンス」や「後産」といった訳語や、ニーチェの引用で気になる箇所が存在したが、
修正するほどのものではなく、現在の版で価格に見合うだけの品質に到達していると評価できる。
絶版を心配するレビューが寄せられているが、他の単行本と同じように本書も数年後には絶版になっているであろう。
だが心配せずとも、愛知県の図書館で蔵書検索したところ、数館が蔵書し、その中には貸し出しできる図書館が存在するので、
個人で所有する価値を見い出せないが読んでみたいと思う人は、近くの図書館で借りるか、
蔵書していないのであれば図書館にリクエストするのが良いのではないだろうか。
ゲーテやニーチェの著作と同様、本書も今後数十年、数百年と読み継がれるだけの価値を有する本だと感じる。
なお、編者であるソヌ・シャムダサーニによる「序論」は、本書の内容を理解する上で非常に参考になる解説であるが、
監訳者の言うような「ユング入門」としては少し難解過ぎるであろう。
2010年に異例のベストセラーとなった『超訳 ニーチェ』の易しさを期待する向きには絶対に向かないと断言できる。
しかし、本文(「新たなる書」)の難解さに比べれば、本書に収められた「序論」と「監訳者後記」を読むだけでも
ユングを理解する上で十分な価値があることを付け加えておきたい。
本書の詳しい内容は、日本語版の版元である下記サイトを参照されたい。
http://www.sogensha.co.jp/special/TheRedBook/index.html