1948年制作。主演のモイラ・シアラーは当時英国ロイヤル・バレエ団の若手プリマで映画出演に乗り気ではなかったが、制作側の熱心さに折れての出演だった。 シアラーは天才的なバレリーナだったが引退が早かった。マーゴット・フォンテインとのライバル関係に敗れた感のある人だが、天才振付家ジョージ・バランシンなどはフォンテインよりもシアラーを高く評価していたのだがら、惜しいキャリアのバレリーナだった。
映画の大筋の「悲劇」はディアギレフとニジンスキーの実話からヒントを得たのだろうが、バランシンが「馬鹿馬鹿しい話」と一蹴したのは有名な話。「バレリーナと作曲家が恋愛するのは興行主にとっては良いことだ。二人ともバレエ団に留めておけるのだから。ディアギレフだって喜んだはずだ」と。しかし何よりもバランシンはレオニード・マシーンの演技を見るに耐えないと思ったらしい。バランシンは振付家としても人物としてもマシーンが嫌いだった(マシーンは贅沢と権力に弱い男で性格も悪かった)。
しかしいまになって見ると、マシーンの出演場面が大変に貴重な感じがして私などは感動する。彼がディアギレフとニジンスキーを直に知る人物だったと思うとなんとも感慨深い。ニジンスキーの振付家としての重要性を力説し続け、ニジンスキー版『春の祭典』復活のきっかけを作ってくれた人物であることも忘れてはいけない。
五十年代以降、マシーンの存在はバランシンの名声にかき消されていく。しかし映画制作当時は、ディアギレフの秘蔵っ子として、シンフォニーバレエという新ジャンルを創造したスター振付家として、堂々たる名声を誇る人物だった。彼の不自然なほど大袈裟な演技を見ていると、バランシンの軽妙や洗練や深遠とはまた別種の「古いロシア」の匂いがする。「ペトルーシュカ」風の村々を廻る見世物小屋的なロシアの匂いだ。