まさに魔法がかかった様な映像、としか言いようがない『赤い靴』が、公開当時の色調と画質を完全に復元した、これ以上のものは望めない究極の仕様で登場。
この、2年半にもわたる復元作業の陣頭指揮を執ったマーティン・スコセッシをはじめ、スピルバーグ、コッポラなど『赤い靴』へのリスペクトを公言する映画監督やクリエイターは無数にいます。
そして、わが国では手塚治虫が深く愛した映画として知られています。手塚氏は、マイケル・パウエル監督の『赤い靴』『ホフマン物語』に多大な影響を受けて、まさに「赤い靴」という漫画を描きました。そして ― 「鉄腕アトム」は『メトロポリス』の影響を受けていて、実は最初の設定ではアトムは少女のロボットで「赤い靴」をはいていたと言われています。そう、アトムの赤いブーツは「赤い靴」の名残りなのです。
製作1948年。日本公開は1950年。誕生から半世紀以上の歳月を経て鮮やかに蘇った『赤い靴』デジタルリマスター・エディションが、今年わが国でも公開されました。そして今回の発売で、若き手塚治虫が、スピルバーグ、コッポラ、スコセッシ少年たちが味わった同じ感動とときめきを、多くのファンがようやく体験できます。
かつてNHKがTVの地上波で映画枠を放送していた時代、もう20年以上も前に初めて観たとき、その映像の美しさばかりに目を奪われてしまいましたが、今回劇場で再見して気づいたのは、この映画は全てにおいて非の打ちどころのない完璧すぎる作品だという事です。
演出、脚本、撮影、照明、美術、音楽、そして俳優の演技、踊り。
映像の美しさは言うまでもありません。伝説ともなっている、中盤の17分間にも及ぶバレエ「赤い靴」のシーン。絵本の世界に生命を吹き込まれたかのような美術と色彩の美しさに、交錯する光と影。新聞紙が集まって人の形になり、生命を得て踊りだすシーンは何度見てもため息が出ます。
そしてもちろん、新鋭バレエダンサーだった主演女優、モイラ・シアラーの瑞々しい演技と躍動、英国バレエ界の2大ダンサー、ロバート・ヘルプマンと、ニジンスキーの後継者といわれたレオニード・マシーンの見事な舞踏。その中でも、ひときわ輝きを放つ「赤い靴」―
あまりにも赤が鮮やかで、これはデジタル処理で色を足しているのでは、と思いましたが、そうではなく撮影監督ジャック・カーディフの色彩設計で赤が際立つような映像になっているのです。世界中で最も赤を美しく表現できるカメラマンと呼ばれました。
この一作で、巨匠の名をほしいままにしたマイケル・パウエル。無駄なカットが全くない完璧すぎる演出、カット割り、カメラワークにも感服。
この映画は、芸術の探究についての物語。
バレエ団を主宰するボリス・レルモントフ(アントン・ウォルブルック)は、人生の全てを芸術に捧げた男。
ボリスに見出される新進気鋭の作曲家ジュリアン(マリウス・ゴーリング)は、ヒロインのヴィクトリアと出逢い、「芸術」よりも「愛」を選びます。
そして、主人公のヴィクトリアは、バレエ=「芸術」と夫・ジュリアン=「愛」の間で揺れ動きます。
3者3様の、芸術をめぐる苦悩と葛藤と愛の物語なのです。
そして俳優たちの演技も本当に素晴らしい。特に、芸術至上主義のレルモントフを演じるアントン・ウォルブルック。独善的ともいえるキャラクターの、愛憎相食む内に秘めた演技には感銘。また個人的には、誰もいない夜の舞台裏で一人ひたすら練習に邁進するレオニード・マシーンの姿に、天才バレエダンサーの探究心を垣間見た気がして、胸を打たれました。
そして、最後にやはりもう一度、素晴らしいジャック・カーディフの撮影の話をしたいと思います。
今では、映画のカメラマンが絵画をモチーフに映像を設計するのは決して珍しくありません。ネストール・アルメンドロスは『天国の日々』を撮った時、フェルメールのような光の捉え方を目指し、ヴィットリオ・ストラーロは未来派の画家、フェルナンド・レジェに多くのインスピレーションを受けているといいます。そして、映画の撮影に絵画の技法を参考にして光と色彩を設計していった最初のカメラマンが、おそらくジャック・カーディフなのです。
かつてカーディフが撮影所でテクニカラーの試験を受けたとき、撮影の技術的なことは一切語らず、絵画における光と色の重要性についてのみ語ったといいます ― レンブラント、フェルメール、ターナー・・・そして合格し、ハリウッド研修の切符を手に入れ、「テクニカラーの父」と呼ばれるようになります。
『赤い靴』は、こうしたカーディフ撮影ならではの、光と色彩の万華鏡の如き映像の宝箱です。
また、撮影時、コマ数を可変できるカメラを開発し、ダンサーが跳躍した瞬間、わずかにスローモーションにすることで空中を舞っているかのように写すなど、実に様々な技法を駆使してこの映画を撮影しました。
しかし、映画の中にバレエを取り込んだ手法は、当時あまりにも斬新すぎて、本国イギリスでは正当な評価を受けなかったといいます。
「もともと舞台のためにあるバレエを新しい形で紹介しようとするのに、グランドキャニオンとソールスベリー平原をくっつけたようなセットの中でバレリーナに踊らせるのは適切だろうか?」
イギリスでは上映中止の憂き目にまで遭ってしまった『赤い靴』は、しかし、アメリカで奇跡の逆転劇。NYで行った単館上映は、2年以上にわたって満席という、ブロードウェイの如きロングランヒット。瞬く間に全米ロードショーへ広がり、イギリスでの惨憺たるデビューを補って余りある賞賛を浴びる事になります。
誰もが、その年のアカデミー撮影賞と美術賞を確信。しかし、前年、カーディフは同じくマイケル・パウエル監督と組んだ『黒水仙』でアカデミー撮影賞を受賞していたため、2年連続で外国人カメラマンが受賞したのではアメリカ人カメラマンの面子がたたない、との理由で『赤い靴』はアカデミー撮影賞にノミネートすらされなかったのです。
しかし、この映画の素晴らしさは、誰よりも一人一人の映画ファンがよく判っています。名声など得なくても、無数の人々の愛が、それを語っています。
劇場で『赤い靴』を観た時、ほとんどの観客は、自分よりもずっと上の年齢層の方々でした。でもその中に、2人連れの女子高校生が混じっていました。バレエを目指しているのか、映画好きなのか、それともアンデルセンのファンでしょうか?でも、ささやかながらこんな風に、この映画『赤い靴』は次の世代にもちゃんと語り継がれていく・・・そんな発見がまた嬉しくもあった劇場での鑑賞でした。
フェリーニ以前に、めくるめく映像のファンタジーを銀幕の上に映し出した映画の至宝が、その美しさを完全復元したものがブルーレイとDVD両方で発売されることは、とても喜ばしい事です。
このデジタルニューマスター版をきっかけに、『赤い靴』が幅広い層の映画ファンに再発見されることを願ってやみません。