贅沢とはお金があればできるものではない。「金目のものをひけらかすのは成金趣味であって、およそエレガンス(優雅)にはほど遠い」(p3)。「優雅な生活」こそ本物の贅沢なのだが、あくせく働く資本主義の現代では、それはなかなか難しい。著者は、「労働」を軽蔑したヨーロッパの貴族社会から、「勤労」を尊ぶ産業社会への転換、そして明治以来のモダンな贅沢を堪能した日本人として、与謝野晶子、森鴎外の娘の茉莉、白州正子などを回顧する。第4章「禁欲のパラドックス」が面白い。禁欲の権化であるヨーロッパの修道院が、贅沢と結び付くのだ。20世紀モード革命の先頭に立ったココ・シャネルは、12〜17歳の多感な年頃を、フランスの田舎オバジーヌ村の孤児院で過ごした孤児だった。この孤児院は中世以来の古い修道院にあり、一切の華美を廃し、窓は色付のステンドグラスではなく「白ガラスと鉛だけ」で出来ている。この白ガラスと鉛の色こそ、シャネルの「白」と「黒」の原点なのだ(129)。彼女の、ジャージーという素材もそうだが、質素な素材から優雅な美が生まれるのが、20世紀ファッションの贅沢の逆説である。イタリアでもっとも贅沢でリッチなホテルは、修道院を改修したもので、絶妙の環境の中にあるという。また、フランスのエリートの贅沢な別荘は、昔の農家を買い取って、中だけ改修したものという。本物の贅沢は、やはり優雅で洗練されている。