賭博者は様々な理由から速記者による口述で完成した作品である。
何を措いても、賭博に取り憑かれた男の異常なまでの心理描写と、
賭博場(ルーレット・カード)の異様な臨場感が混じり合い、
そこへもって主人公が好意を寄せるミス・ポリーナの狂気までが
描かれ、これらが一気に最後のカタルシスへと傾れこむ様は、
読む者に息をつく暇を与えぬ程の猛々しい筆致である。
私自身は競馬とパチンコをやるくらいで、カジノへ行った経験すらないのだが、
一晩で十万フローリンを稼ぎ出す場面は、読んでいるこちらが手に汗を掻くほど。
口述文学ならではの緊張感が嵐のように伝わってくる。
原稿用紙に向かって、「今日も筆が進まない、いっそ原稿用紙ゼロ枚日記でも
書こうかしら」などという職業作家には、到底書けないモノである。
着想を得たのは実際に口述する三年前で、僅かな時間でこれだけまとまった、
章立ての鋭い作品を頭の中でこしらえてしまうのだから、ドストエフスキーは
並みの天才ではない。
さらに付け加えるならば、『罪と罰』も口述文学である。
この天才には着想があれば、伊坂幸太郎のような伏線の張り巡らせや、その回収などという
素人の小手先技や苦労は一切不要なのだから、やはり古典は読んでおいたほうがよいと思う。
その証拠に感動の程度が現代作家とは比べものにならない。これが歴史的真実というものだ。