著者は、「懺悔の気持ちを込めて」本書を書いたというのだが、これはご自身が日本経済の改革にいかに大きな役割を果たしてきたかをアピールするための言葉ではないのか?そもそも、「資本主義が自壊した」と断定する論拠そのものが不明である。1930年代の大恐慌期に、失業者が溢れるニューヨークの映像をソ連はプロパガンダ映画に利用し、「資本主義は自壊しつつある」と宣伝した(その後、自壊したのはソ連の方だった)。無論、資本主義に影の部分があることは何人も否定しないであろうし、弱者保護のため社会的なセーフティーネットを強化する必要があることは認める。しかし、こうした提言は「資本主義の自壊」という断定や市場経済の否定からスタートさせる必然性はないのである。財務省が大蔵省と呼ばれた時代、証券局や銀行局の官僚たちの傲慢不遜と放縦ぶりを目の当たりにしたレビュアーは、90年代以降の規制緩和ないしは制度改革に基本的な誤りを認めることができない。
かつて中谷氏の絶頂期に、さる企業が講演を依頼したところ、「100万円以下ではお引き受けできない」とあっさり断られたそうである。100万円は、中谷氏が感銘を受けたというブータンの人々の年収の数年分に相当する。資本主義がもたらす剰余の分配にかくも強欲な中谷氏が、いまさら「懺悔する」では、神様もさぞかし困惑されるだろう。
中谷氏にくれぐれもお願いしたい。「私の自戒」と「資本主義の自壊」を等式で結ばないように。シャレにもならない。