年金生活の心細さに、どうすればお金のない貧乏生活に耐えられるか―というハウツー本を期待して読みました。見事に期待を裏切られました。
スーパーで「百円の中国産の椎茸と三百円の岩手産のどちら」を買うか?そりゃあお金のある方は誰だって迷わず無害安全な岩手産でしょうが、年収200万円では中国産を選択せざるを得ません。しかし、著者はこう云います。《ほんとうは岩手産がいいのだけれどと思いつつ、ケチって中国産のものにする》ことは、《中国産がいけないわけではありません。その時の敗北感、怒りが、私たちを不幸にします。そのことがいけないのです。》そう云われれば、確かに一寸した敗北感は感じます。でもその敗北感が不幸につながる・・とは思っていませんでした。百円の椎茸で我慢するけど、居間にはBOSEの最新CDプレーヤがあるし、Dyson掃除機(DC22)だって持っているんです。そんな私がどうして不幸なんでしょうか?
これに対し著者は、「欲しいものをすべて手にした者が知る不幸のなかから」仏道が生れてきたのだと、釈尊の思想に触れて、《不幸の黒幕は、心そのものに組み込まれた欲望のカラクリなのだということ》に気付くように諭します。”衣食住”という人間の基幹的生活および”自分の再生産”の為には、思い切ってお金を使い、それ以外には胸を張ってケチケチする・・・そうすれば敗北感やあてのないない怒りなどとは無縁という、幸福な貧乏生活のヒントを出してくれています。
著者は、自分自身の青春時代の体験もリアルに言及しつつ、”持ち物”、”お金”、”物欲”、”節約”、”幸不幸”等のキーワードを丁寧に説きほぐして、先行き不安な時代のなかで人間として幸福に生きるとはどういうことかを真摯に追求しています。今度は思い切って、三百円の岩手産椎茸を買ってみよう、と思います。