著者の本は以前にも
若者はなぜ「決められない」か (ちくま新書)を読んだことがある。
その時は、なんかウダウダ語ってるなぁーという印象を受けたが、本書においてはその「ウダ
ウダ」が、味にまで昇華されている。
中盤の長々とした近代作家たちの叙述は、この本における大いなる蛇足の様にも見えるが、
実はそうではない。
序章で著者は、あくまで自分が「自分らしさ」「自分探し」を追究する生き方に肯定的な立場
にあることを述べている。そうやって上に持ち上げておきながらも、著者が本書で明らかにする
のは、今の若者が意識するであろう近代以降の芸術家、主に小説家の人生がいかに金に困り、
金に執着し、金を借り踏み倒し、または借りられて踏み倒される人生だったか。そして中には、
その金銭的な苦悩を前にすり減らして散っていく人生のカスそのものを文字に書き起こしてい
った壮絶な作家もいたことを明かすのだ。読者は、序章でこの著者の立ち位置を確認していた
だけに、どんどん鬱になっていくという、まことに愉快な仕掛けが施されているのである。
漱石などの専業作家は、家柄がよかったり、収入の見込みがあったからこそ専業作家になれた。
つまりセーフティーネットがしっかりしていたのである。「文化的豊かさ」と「経済的豊かさ」は
必ずしも相反しないのだ。
しかし、著者はあくまで「自分らしさ」の芸術の側に立つ。
「文学や芸術が、法律で社会に勝っても、何にもならないのである」(216p)
素晴らしい言葉だと思う。芸術はそもそも「負け芸」であり、その負け方にこそ「自分らしい」
が刻印されるのではないだろうか。「自分らしさ」と「経済的な豊かさ」、その両方を手に入
れたいなら、芥川や春樹を目指すよりも、楽天の三木谷を目指した方がよっぽど効率的なので
ある。
小説家として身を立てようしているそこの君!その道を進む前に、まぁこれを読んでみたまえ。
人生は長い、読んだ上でさらに自信を深めてその道を行くもよし、逆に怖じ気づいて引き返し
ちゃうのもよし。遅くはないではないか。