建築とは本来強いもの、周辺や自然環境に対して「勝ち」のイメージを持っているのは自明とも思えることであるが、この建築家はその状況の中で「負け」のイメージをもってこの本を書いたようだ。
隈研吾という人物はよくわからない。批判をしているようで、実はそうでなかったり、他の文章で言っていたことと矛盾していたり、特に自分の作品との矛盾が大きいような気がする。この本では自分の作品については一つも触れられていない。建築家の「言葉」は本来自分の作品を説明したり、設計プロセスや建築手法(建築論?)、その建築自体の存在意義のようなものを語るために自分に甘く書かれるものが多いが、そこからはその建築家の意思や思いが伝わってくる。また、その建築家の作品と照らし合わせたときに意味を持ったり、新たな発見があったりするものだが、この人の場合そんな「思想」のようなものが感じられないのだろうか?
割と興味を持った項目として「公・ブランド・私」というのがある。建築家というブランドに関するもので、安藤忠雄の例が紹介されている。建築ブームの中で公・オーソリティ(公共建築やエリート建築家?)と私・パーソナリティ(個人住宅やブティック)と建築家のブランド化やその戦略についてやや批判的に書かれている。
しかし現実は、著者である隈研吾も人気建築家として立派なブランドを形成しており、「隈ブランド」のファサードを次々と発表している。