非常に悲惨な戦闘の結果、日本軍戦死者6万5千名、県民死亡者約12万名(本書序)を出した沖縄攻防戦。「沖縄悲遇の作戦ー異端の参謀八原博通」、「沖縄に死すー第三十二軍司令官牛島満の生涯」(共に光人社NF文庫)を読み、そして3人目に長中将に会った。第32軍参謀長の長勇中将(陸士28期)は豪放磊落で奇言奇行、政治的な軍人であると同時に部下の面倒見は良く人望が厚い、名物軍人だ。水と油の八原大佐でも長中将には好感を示し、引かれるものがあった位だ。長中将も八原大佐の頭脳明晰さを評価しその緻密さを信頼していた。
ところで本書、長勇伝のハイライトその一は、1930年に橋本欣五郎中佐らと桜会を結成し翌年には三月事件、十月事件を計画、当時の長少佐は「次の警視総監」の予定だったが事前に発覚した。しかしその顛末は軽い重謹慎10日という沙汰であった。その二は、1940年に仏印派遣軍参謀長、また仏印駐留第25軍の参謀副長になったが、中央と連絡取ることなく単独で勝手に重慶政府と和平交渉を行った。上昇志向が強く政治的な、下克上の見本的であり、行動力あふるる長勇らしい。結果は東条英機首相兼陸相の逆鱗にふれ不遇の左遷となってしまった。その三は、1944年夏に第32軍が編成され最期の任地沖縄に。突撃か持久か難しい選択だったが、結局は長参謀長の突撃命令は失敗に終わる。この地で1945年6月23日早暁、生き残り司令部衛兵が最期の突撃をした後で、牛島司令官の拳銃自決を看取ってから、長参謀長は白衣姿正座で切腹、享年51歳であった。本書は、537頁の大作だが、第一と第二のハイライトで450ページを割き、長勇自身の自由奔放な行動や女性関係も含めて詳しく書かれている。一方で最も知りたかった沖縄戦の長参謀長という第三のハイライト部分がバランス的に不満足であった。第32軍の長自身のことよりは沖縄戦史が主となり過ぎて、第32軍と米軍の攻防の叙述に終始した感が強い。長参謀長自身の苦悩や、放胆な長と緻密な八原の関係をより詳細に記して欲しかった。