私はレイモンド・カーヴァーの全集のなかで、この本がいちばん好きです。
「象」におさめられた短編 「使い走り」の淡々として、かつ壮絶な語り口にも惹かれますが、最後の詩集であり遺作である「滝への新しい小径」が好きというか、私は冷静に読むことができません。
カーヴァーといえば、短編の名手という認識でそちらに親しんでいる方は多いと思いますが、もし詩というフォームということでこの本を敬遠されているのだとしたら、それはカーヴァーの大切な部分を見逃していると思います。
私は詩が好きで、偏りはありますが結構いろいろな詩を読んできました。が、彼の詩との出会いは私にとって、この1冊あれば他のものはなくてもいいとまで思わせるものでした。
引用されている詩も作者への愛に溢れ、ともに響きあい、完全にこの詩集の一部になっています。
(なかでも、チェスワフ・ミウォシュの「贈り物」という詩は、カーヴァーが最後にたどり着いたであろう風景と同じ土地にあるかのようです)
「レモネード」や「目覚めよ」なども好きですが、「夏の霧」や「プロポーズ」、「慈しみ」へとつづく、最終章の詩は前にも書きましたが冷静に読めません。(というか、号泣でした)
この本は、詩というフォームへの先入観を捨ててください。また、そうさせる力があります。迫りくる死を感じながら、彼が到達した静けさを感じて欲しいのです。