この実験授業についての情報量は当時放送されたテレビのドキュメンタリー番組が圧倒的に多い。そこでわかるのは、この授業が当初からテレビカメラの前で、つねにカメラを意識しておこなわれていたということだ。つまり、世間に対して、大胆で実験的な教育を行っている熱心な教師、それに応えている生徒たちを教室においてドキュメンタリー化すること。これがこの実験授業の目的だ。
目立ちたがり屋の若い教師とカメラを意識して、知らず知らず演技してしまう子供たち。
他の書評にもあったが、この先生は、「命の大切さ」と「食物の大切さ」を混同している。しかも意図的にだ。この混同を生徒たちに押し付ければ、生徒は混乱することが目に見えている。そして、その混乱を実験授業の目玉としてカメラに記録することを計画している。
他の農業教育などと同じく、純然たる「食肉教育」として行うのであれば、通常半年か1年で食肉化されるわけだから、そのように計画し、実行しなければならない。情が移らないように複数頭が理想だろう。それを一頭だけ、ずるずると3年も飼い続け、ペットとしての豚に情が移るようにしむけた。そういう土壌がないと食肉化と子豚の命の葛藤に悩む子供の絵は撮れない、スキャンダラスな実験授業は演出できない。
結局、3年間も飼い続けることになったのは、子供たちがペットとしての豚を到底殺せなくなって、持て余したことを意味している。2年目で強引に殺せば、子供たちから恨まれる。教師は総スカンを食らう。安易に許可した学校側としてもテレビ局が入っているから世間の目を気にして介入できない。3年持ち越しになり、体重300kgにもなった豚飼育というやっかいな問題を処分するとしたら、子供たちと分かれる卒業期がよい。こうしてこの問題は処理されたわけだ。
食肉センターに移送されたことになっているが、疑問なのは、こうした衛生状態もわからない素人の飼育した豚をプロが受け入れるのかということだ。この豚を解体した食肉が出荷されたとは到底考えにくい。食肉を学校側が引き取ったのか、食べたのかどうかもわからない。単に保健所で薬殺されるかわりに、センターに屠殺を依頼しただけではないか。食肉センターだから肉が無駄にならなかったということはない。
結局、この先生とテレビ局のやったことは、命の大切さどころか、動物の命と子供のこころをもて遊ぶ危険な行為だったのではないか、たかが子豚一匹だから、子供相手の授業だから俺さえ目立てばそれでよい、あとはどうなろうと構わないという安易な考えが当初からあったように思える。