文豪というと“まっとうな”ものを書いているイメージがある(と、僕は思う)。しかし、“まっとうな”小説が、それほど長く読者を獲得し得るだろうか。時代を超えて残ってくる作品というものは、恐らく多くの場合、それ固有の、それにしかない何かを持っているから、恐らくそのように残ってくるのであろう。しかし、“まっとうな”作品であるためには、あまり強い個性があってはだめだ。“まっとうな”作品であるということは、極力、その内に“違和感”を覚えさせたりするようなものがない必要がある。というわけで、文豪の作品とうのは、意外と“変”だったりする。 この作品に関してもそうだ。ずっと、結構“まともな”話が展開していくのだが、最後の最後で、逆転される。「えっ?いいのか、こんな展開?だって、あのバルザックの作品でしょ?」という感じである。うっちゃりである。“あのバルザック”とか言って、安心しきって読んでると(或いは、文学史なんかの解説で分かった気になってると)、痛い目にあうのである。