川端康成に「昭和の夢二」とまで賞された。夢見るような空想世界、日本人の原風景を描き続けた画家。
昭和31年「週刊新潮」創刊とともに描き続けた表紙絵は、59歳で没するまで1335枚の多きにのぼった。また、表紙絵以外にも、挿絵や装幀、広告、福祉活動など幅広い分野で活躍した。その中の代表的なものをカラー写真で紹介し、谷内六郎の表現世界を跡付けている。
「ぼくの表紙絵は一つのポイントとかアイデアをもっています。普通絵画は造型性だけによってあらゆるもの、思考とか感性とかを表現しますが、ぼくのには漫画で言えばギャグとかウィットみたいに何か一つのニュアンスによる焦点を出します。それが重要なぼくの絵の方法でもあります」(昭和44年)これは本人の弁。
「桃尻娘」の橋本治は、かれをシュールレアリストと呼ぶ。それも現実を超えた上というよりは「現実を超えたものが現実の中に収まって、そのまま現実になっている」すなわち「現実と幻想の境目がない」ということである。そう言われればそうで、違和感なく子供の世界に大人がいつのまにか入っていける雰囲気である。
宮城まり子の「ねむの木学園」に招かれて、園児たちと3年間、美術造型の生まれ出る過程を見届けた満足感もあった。
谷内六郎自らが病弱であったのを支えてくれたのは、親、兄弟、妻や子の愛情であった。そして何より幼い頃からの揺るがない絵を描く情熱が人一倍強かったのである(雅)