本書は主に四つの論理的誤謬を取り上げる。多義性(ambiguity)、人に向かう議論(argumentum ad hominem)、性急な一般化(hasty generalization)、案山子攻撃(attacking a straw man)である。
第一章は導入であるが、財布に向かう議論(Argumentum ad crumenam)を簡単に説明する。小生が今までに読んだ例では「金持ちが言っているから正しい」という意味であった。本書の説くような、聴衆の金銭的利益から賛成を得るという説明と異なる。それは論理ではなく単なる取引である。第二章で多義性の誤謬を述べる。教科書の例が子供だましという話が相当続く。だが論理学に限らず教科書は単純な例を示すのが普通である。逆にベーコンのイドラの説明が簡素で一面的すぎるのが残念である。多義性の論理的誤謬は思う以上に頻繁に行われているので重要である。
第三章は案山子攻撃(attacking a straw man)である。論敵の主張を案山子のような弱いものに変形して攻撃する。これも多く見られる論理的誤謬である。香西氏はStraw manをかなり拡張して説明している。滅多に起こらない例を挙げるaccidentや自分に都合の良い例を挙げるcherry pickingを含んでいる。論理的誤謬の各項目は完全に独立ではないから、まとめたほうが読者に印象を強く出来ると考えたのだろうか。しかしその考えに反対である。あれもこれもと盛り込むことで、印象が散漫になってしまっている。第四章は人に向かう議論(argumentum ad hominem)、つまり人格あるいは人身攻撃である。だが渡部昇一氏の文章からの引用は恣意的で、一方的な例だけをあげるcherry pickingの印象を与える。
第五章は性急な一般化(hasty generalization)である。ある作家が虫の入った料理を出された食堂に二度と行かなかった例を挙げている。香西氏は論理的誤謬とされる性急な一般化が時に有効だということをもって論理性が常に正しいと限らないと結論している。本書のタイトルはこの部分に対してだろう。しかし虫が入っていた食堂に行かないのは標本から母集団を推測する問題である。推測が間違う危険率を前提としている。性急な一般化が論理的誤謬とされるのは「いつも正しいとは言えない」からである。統計学的検定が有効なのは「概ね正しい」からである。目的も意味も異なる両者を俎上に載せ一方を肯定することで他方を否定するならば、その議論は誤ったディレンマ(false dilemma)の誤謬を犯している。