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最も参考になったカスタマーレビュー
29 人中、26人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
とてもおもしろかった☆,
By 文学知らずの文学部生 (東京都) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 論より詭弁 反論理的思考のすすめ (光文社新書) (新書)
筆者の論理批判は興味深いものでしたが、詭弁に騙されることのない論理的思考を確立するためのものとしてこそ、この本の意義があると思います。基本的には論理的思考を心がけながらも、やむをえない状況(相手との間に論理を超えた力関係が働いている場合など)によっては詭弁を用いることが理想的なのではないでしょうか?筆者は本書において、「詭弁>論」という図式を示すために、非常に明快な「論理」を用いているという根本的な事実を忘れるべきではありません。やはり結局のところ、人間にとって論理的思考というものは必要不可欠なものだと思います。
14 人中、12人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
もっと読みたいところで終わる,
By おの - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 論より詭弁 反論理的思考のすすめ (光文社新書) (新書)
レトリックの第一人者による反・論理的思考のすすめ。論理的思考が通用する場面は、ディベートのように両者が対等な立場にある場合に限られ、実際は偏った力関係の中で説得の手段を見出さなければならない。著者は詭弁というのが勢力のない側が使った場合にそう呼ばれるだけで、普通によく用いられていることを示す(「あなたは平和憲法の改悪に賛成ですか?」)。 その上で、定義からの議論と因果関係からの議論を両立させないほうがよいこと、論点のすり替えはより重要な問題への移行だとする意見、先決問題要求の虚偽は実際意図がみえみえで詭弁にもならないことをレトリックの教科書を参照しながら説明する。 共通するのは、議論は主張者が誰でも同じなのではなく、主張者の信条・態度・信頼度(エートス)を巻き込んだ上で説得力が生まれるということだ。これは従来に論理的思考の本ではあまり触れられず、また触れられたとしても無碍に否定されていたことではないだろうか。 著者の書き方がすでにレトリックの教科書のようになっていて面白い。新書で紙幅が限られているためだとは思うが、トピックが少なくて物足りないので、もう2,3章くらい多くてもよかったと思う。
3 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
「詭弁」は説得の技術として「論理」に勝るとする香西理論の到達点,
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レビュー対象商品: 論より詭弁 反論理的思考のすすめ (光文社新書) (新書)
***本書の目的は,著者が述べているように,「論理学(非・形式論理学)で虚偽であるいは詭弁と名指されてきた論法を主な材料として,論理的思考をレトリックの立場から批判的に検討しようとする」ものです(18頁)。 つまり,本書のタイトルとなっている「論より詭弁−反論理的思考のすすめ」は,「詭弁」を誤りとして排斥してきた従来の「論理学」よりも,むしろ,「詭弁」をも議論術の許容範囲として取り込んできた「レトリック」の方が,社会的には有用性が高く,「お勧め」できるという意味に解釈できます。 著者によると,「レトリックという技術体系は,その内部にトピカ〔思考術〕という論理部門をもち,論理(学)を内包したかたちで成り立っている。だからレトリックという技術はそれだけで自立し,もはや論理の助けをほとんど必要としない」(17頁)ということになるのです(反論理的思考)。 著者は,さらに続けて,「詭弁」とされてきた具体例を検討することを通じて,「論理的思考をより有効なものに洗練させることができたなら,レトリックは再びそれらを自らのうちに取り込み,その機能をさらに豊富にすることができるかもしれない」(18頁)として「論理学の再構成」の可能性をも示唆しています。 *** 本書の構成は,以下の通りであり,「詭弁」と言われてきた具体例を仔細に検討すると,実は,そのほとんどがまっとうな議論であるということが,次々と明らかにされていきます。 *** 第1章(論理的思考批判)では,「男と女」(男女)と書いても,「女と男」(女男)と書いても,両性を平等に表現することはできないというように,順序をつけて表現せざるをえない「言葉の制約」が明らかにされ,「言葉で何かを表現することは」,必然的に「詭弁」にならざるを得ないということが説得的に論じられています。 第2章(正しい根拠が多すぎてはいけない)では,主張を正当化する論拠をたくさん並べて,「合わせ技で一本」とする人が多いのですが,それぞれの論拠の性格が異なる場合には,かえって,議論の「説得力が破壊」され,いわゆる「詭弁」に陥ってしまうことが多いので注意が必要であることが論じられています。 第3章(詭弁とは,自分に反対する意見のこと)では,他人に対しては,「詭弁だ」と非難する人たちも,自分や仲間の考え方を弁護する時は,平気で「詭弁」を使っていることが具体例で明らかにされます。しかも,その場合の「詭弁」は,「気の利いた,才気煥発たる物言い」として賞賛されていること(ご都合主義)が明らかにされ,「自分たちに反対する意見のみが,詭弁と呼ばれる資格をもっている」(106頁)という結論が導かれています。この点に関する著者のレトリックはまことに見事です。 第4章(人と論とは別ではない)では,これまで,議論の主体(人)と,議論の対象(対立する利害)とは,はっきりと区別されるべきであり,議論の対象を議論の対象へとすり替える「人に訴える議論」は,これまで「詭弁」だとされてきましたが,「人に訴える議論」も,実は,「相手よりも聴衆を説得しようとするものであるから典型的なレトリックの技法である」(140頁)ことが明らかにされます。 第5章(問いは,どんなに偏っていてもかまわない)では,「仕組まれた問い」によって,立証責任を相手方に転嫁させる方法は,「詭弁」のようにも見えますが,相手方としては,質問に正直に答えてしまう(answer)のではなく,問いを返す(retort)ことによって,立証責任を元に戻すという方法を利用することができるのであり(171−175頁),これに引っかからない注意が必要とはいえ,これも,詭弁とはいえないことが明らかにされます。 そして,本書の最大の特色は,これまで曖昧にされてきた「詭弁」の定義を以下のように明確に下している点にあります。 *** 「詭弁」とは,「従来〔論理学上〕虚偽と見なさされていた言語形式を,説得のための技術としてあえて用いる」ことをいう(88頁)。 *** もっとも,著者は,「私がうっかり詭弁を定義したりするなどすると,全体の論旨などそっちのけで,私の詭弁の用法とその定義とが合わぬ箇所を見つけ出し,鬼の首を取ったかのような凱歌を上げたりする。こういうのに付き合うのはうんざりなので,だから,ここでは詭弁の定義も虚偽の定義もしない」(89頁)として,「詭弁」を定義することに慎重な態度を保っていますが,上記の記述は,実に明快な「詭弁」の定義であり,レトリックに取り込まれている「詭弁」は,「間違いのない詭弁」(31頁)であると論じたことは,本書の最も大きな功績と思われます。 *** このように,本書は,従来論理学の立場から,「詭弁」として非難されてきた様々な具体例を取り上げて検討し,レトリックの立場からは,それらが「説得の技術」として有用なものであることを明らかにしており,高く評価されるべきだと思います。 *** ところが,本書の「序章(論理的思考批判)」で,筆者は,上記の第1章から第5章までの功績を台無しにする記述を行っています,本書の評価が低下しているのは,もっぱら,この序章のためです。 本書の本文の最初の頁(8頁)で,著者は,「正直言って,私は,真面目な動機から,論理的思考について学ぼうとする人間が好きではない。」と切り出します。この点は,人の好みの問題ですから,反発する人が大勢いるとしても,問題はないと思います。しかし,その続きが問題です。 「そういう人間に限って,論理的思考の効能を固く信じ,正しい議論を真剣になってやろうとする。 だが,議論に世の中を変える力などありはしない。もし本当に何かを変えたいのなら,議論などせずに,裏の根回しで数工作でもした方がよほど確実であろう。実際に,本物のリアリストは,皆そうしている。世の中は,結局は数の多い方が勝つのである。 論理的思考力や議論の能力など,所詮は弱者の当てにならない護身術である。強者には,そんなものは要らない。いわゆる議論のルールなど,弱者の甘え以外の何ものでもない。」(8−9頁) 「議論のルール」など要らないというのは,暴論でしょうが,本書の目的である「論理学に対する批判」として,なんとか聞き流すことができます。しかし,この暴論が,以下のように,本書のタイトルである「論より詭弁」を支えている「レトリック」にまで及ぶと,本書の価値そのものが破壊されてします。 「先ほど論理的思考力について,『弱者の当てにならない護身術』と揶揄したが,天に唾するとはこのことで,レトリックもまた弱者の武器に過ぎない。強者はそれを必要としない。」(15頁) *** 本書の評価を低下させているのは,もっぱら,上記の「天に唾する」暴論です。なぜなら,本書の序論のこの部分は,本書のタイトルに表れている本書の目的,すなわち,「論理学もいいが,それよりも,『詭弁』の良いところを取り込んでいる『反論理的思考』または『説得の技術』としての『レトリック』を学ぶことを勧める」という,本書の目的をも破壊しているからです。 したがって,読者は,本書の「序論」だけは,軽く読み飛ばしましょう。ここで著者の挑発に乗って,怒りのあまり,読むのをやめるのはもったいないと思います。なぜなら,本書は,香西秀信『反論の技術 その意義と訓練方法』明治図書出版(1995)によって,「生涯一ソフィスト」として,新しいレトリックの立場から,従来の論理的な思考方法に対する批判を開始した著者の,現在の到達点を示すものといえるからです。 そして,気を取り直して,第1章から第4章までを熟読しましょう。その上で,第5章については,さらに,筆者の別著(香西秀信『レトリックと詭弁−禁断の議論術講座』ちくま文庫(2010)(香西秀信『「論理戦」に勝つ技術 ビジネス「護心術」のすすめ』PHP研究所(2002))の文庫版))と読み比べるてみると,「詭弁」と「その対処方法」について,さらに理解が深まるでしょう。 そうすれば,読者は,本書によって,これまで「詭弁」とされてきた思考技術からも,意見の異なる人々が合意に至るために必要な「説得のための多くの知恵と技術」のエッセンスを獲得することができると思います。
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