本書の表現を借りれば「発表報道」に堕した日本の報道機関。
官庁や自治体の「広報機関」に堕したジャーナリズム。
この報道機関が本来の力、活気を取りもどすには調査報道をすることが
肝要だと主張するのが本書である。
調査報道とは、各メディアやジャーナリストが、独自の取材、調査で
社会悪や、権力の横暴を暴くものだと僕は理解している。
たとえば、立花隆氏が行った「田中角栄の金脈追求報道」が
まさしくそれにあたると思う。
調査報道が大切だということは、ジャーナリストなら、誰も論を俟たないと思う。
しかし、なぜそれができないのか。
民放テレビ局は、企業の広告を収入源にしている限り、
本来の意味での調査報道には限りがあるだろう。
原発事故なら大スポンサー東京電力にどこかで気を使う。
それに予算削減で人が足りない。定時ニュースで放送する
省庁の発表物を拾うだけで、記者は疲弊してしまう。
NHKは予算の商人券を国会に握られている限り、
これも本来の調査報道には限りが出てくる。
つまりは、ペイテレビ方式で、料金を視聴者から徴収する
米国のCNNのようなテレビ局でない限り無理なのではないか。
新聞や通信社といったメディアではどうなのだろうか。
中国の高速鉄道事故をめぐる中国東京句の場当たり的な対応を見るにつけ、
こうした事象にに対する調査報道がぜひ必要だと、強く思う。
規制線が解かれても現場に入ろうとしない報道機関など、言語道断である。