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本書を執筆した呉智英の問題意識がこの一節に集約されている。エグイ。呉は馬鹿や無教養を全否定し、教養を理解できぬコンプレックスからマガイモノの知識体系にすがりつくのを全否定しているのである。どうしたら我々は「石コロ」を掴まされずに済むのか。近代国家教育が「根こそぎ的」である以上、呉の論法に従うなら、教養を身につけるのに一番簡単なのは、学校教育のカリキュラムをきちんとこなすことだ。歴史・数学・語学…全て道は用意されている(呉は単なる学歴主義者ではない。誤解無きよう)。
しかし、そのルートが採れない人もいるだろう。既に学生時代を終えた人だっている。呉はそういった人々のために「石コロ」を掴んでしまうことなく「肥沃な知の原野」に辿り着くためのヒントを、本書において示している。私が本書を初めて読んだのは高校生の時だったが、本書の基本思想と技術は未だに役に立っている(と、思いたい)。こんな私のレビューにまで目を通してくれる純心な読書家にこそお勧めの一冊だが、本書の推奨する方法に一から十まで従う必要は無いと思う。例えば、呉はB6の読書カード作成を勧めるが、今となってはPCのテキストデータにでもしておいた方が効率がいいだろう。
読書に技術はいるのか?
呉氏が言っている通り、読書には二通りある。「味わう」読書と「知る」読書である。後者にはそれなりの技術なり方法が必要だと思う。
本書で呉氏は、読書カードの取り方・作り方、探書手帳について語っている。またブックリストなども付している(多少古いものもあるが、今でも読む価値のあるものが紹介されている)。そういった「実践的」な部分に関して、呉氏は建設的な意見を提示し、読者の知的好奇心を刺激している。大変役立つ。「技術」である。
しかし、この著作の目玉は少し別のところにあるように感じる。呉氏は何よりも、書籍(権威)に対して毅然とした態度をとるべきことを、この著作の中で教示しているのではないか。呉氏は、右であれ左であれ、本物は認めるが、偽者は認めないタイプの人間である。
知的態度を見直す為に、今一度読まれるべき著作ではないか。