前作「情報」を購入し、今回も期待していた。
しかし、読む前から一つの「疑問」はあった。
つまり、「情報は一つのノート」で充分じゃないか?
ということである。「読書」から得られた「情報」
を前作の方法論で「作業」するだけで充分じゃないか?
そのような疑問なのである。
その疑問を解消するには、前作と一味違う「読書」ならではの
アプローチや、前作で感じた「結局作業量が多いから
継続は困難だ」という、この方法論の不具合を、
新作ではしっかり手当てしていることが必要だと思い
読み進めた。
しかし、驚くこと無かれ、今回は、「情報」以上の
「作業量」が必要である。これが悪いというわけではない。
「読書本来の楽しみ」が薄められはしないかという
懸念が生じるのだ。
「読書」から得られる「感動」が、単に「情報」となり
PC上での検索対象のデータとなってしまうのである。
さらに、本末転倒よろしく、「情報」をPCデータ化する
ための「読書」になってしまうのである。
私は、子どもたちや若い方に言いたいのは、
「忘れることを恐れるな!」である。
「忘れることに感謝しよう」である。
忘れても、欲しい情報はまた寄って来るし、また読めば
よい、本当に必要ならまた本そのものを咀嚼すればよい。
それが読書する人にとって血肉となるのだから。