1929年に愛知県の浄土宗の寺に生まれ日常的に説教(=民衆教化行為)を聴いて育ち、仏教における情念の復権を訴え、小沢昭一と共に節談説教を採録して回った国文学者が、1978年に刊行した、仏教の説教と話芸との深い関連を論ずる新書本。民衆への説教はそもそも釈尊以来の行為でありもとより独自の節回しや型=芸能の萌芽を持っていたが、それが中国を経て日本に伝来すると、日本の風土の中で独自の発展を遂げてゆく。天台の破戒僧澄憲とその子聖覚に端を発する、説教の家元的存在である安居院流は、浄土宗と浄土真宗の節談説教に継承され、それに対抗する定円以来の三井寺派は、近世に正統の説教としては衰退したものの、民間芸能化して説経浄瑠璃(説経節)を支配したと著者は見る。この二流が日本の説教の二大潮流となり、そこから落語、講釈(講談)、ちょんがれ、浪花節等々の話芸が生まれたことが、本書の主題である。明治以来の洋風化による内外からの批判、娯楽機関・マスメディア・教育機関の発達の中で、説教は衰退したが、著者はそれに随所で厳しく警鐘を発している(したがって、宗教と芸能が一体化していた前近代と伝統への共感と近代批判が濃厚である)。推測で何でも仏教の影響に関連付けているような傾向はあるが、『日本霊異記』『往生要集』『沙石集』『醒睡笑』等々の日本文学の古典が説教との関連で再評価されていることや、東西日本の差異についての指摘は興味深い。また著者の強調する芸としての「説教」の重要性は、前近代の宗教のあり方や、教育について考える上でも重要である。ただ仕方のないことだが、専門用語や代表作の列挙は、私のようになじみのない人間にはわかりにくい。