阪神大震災を体験している著者はこの本で、今度の震災で傷ついた人達に向け「これまでの経験をこれまでとは違う糸で縫いなおす」、つまり自分は誰かという物語を「語りなおす」ことを提案している。そして、それは「きつい痛みをともなう癒えのプロセス」だからこそ、「異人」であり分からないままでも、彼らに「寄り添い、語りなおしを待つ」ことこそ、自分達の役割ではないかと説く。
さらには「見ないで済ます仕組み」(東京の電力が福島で作られ、米軍基地が沖縄に集中していること等)のせいで、たちまち無力化してしまう社会に生きる者として、同様に「社会的次元」でこの国を語りなおさなければならないとも訴えている。
「死なれる」とは日本人独特の喪失感の表現だから、大切な人に「死なれた人のケア」が重要だと解き、「ガレキ」という言葉を連発するマスコミを批判し、「もはや未来は白紙ではない」と原発事故を自分のこととして苦悩する著者の姿勢が、独特のソフトでやや寂しげな語り口と相まって、胸にしみてくる。
そして、言葉は「心の繊維」だからこそ編み直すことができるし、発せられた「言葉の手ざわりのようなものを通して」人は初めて語りだすのかもしれないと、聴くことと語ることの深い相互関係に希望を託しているのだ。
あの日傷つき、今も傷つき続けている人達にとって、本書は救済の書にも読めるし、彼らのために何かしたいと思う人達には、大切なヒントを与えてくれる一冊に感じられた。