「今の日本には『対話が足りない』」というテーマで、二人の劇作家が対談をくりひろげます。「対話」というのは、単なる「おしゃべり」や「うなずきあい」ではなく、簡単に要約してしまうと「違う文脈の人と、どれだけ歩み寄れるか」といういとなみ、として定義されています。
その定義自体には、まったく賛成です。そして、今の日本には「対話」が足りない、ということについても、賛成です。それについての、さまざまな有益な提言も、この本ではなされています。
でも、他の評者の方も書いておられるとおり、この本じたいは「対話」ではないようです。
井上氏、平田氏、どちらもほとんど同じことを発言していて、お二人の名前を入れ替えても、ぜんぜん気がつかないくらいです。(ついでですが、この商品ページの写真にはありませんが、私が購入したものにはお二人の顔写真を並べた帯が付いていて、その二枚の写真も、入れ替えてもわからないんじゃないかと思ってしまいました。デザイナーのいたずらでしょうか?)
平田氏が「井上さんの戯曲では、突然みんなが歌いだしたりするけど、あんなこと普通の日本人はしませんよね」と言ったり、井上氏が「平田君の舞台で、役者が後ろ向いてしゃべるのは、やっぱりどうかと思うよ」と言ったりして、そこからワクワクする議論が展開したりは、残念ながら、しません。そういうのが、「対話」じゃないかと思うんですが。
もうひとつ。この本は日本語論としては面白いですが、演劇論としては、「戯曲の言葉=話し言葉」という定義は、せますぎます。演劇には、語りやモノローグといった、話し言葉を超えたスタイルの可能性が、いくらでもあります。その可能性がまったく無視されているのは、残念としかいいようがありません。