内容(「BOOK」データベースより)
朝鮮王朝(李朝)中期、被差別民に生まれた一人の男がいた。その名は許浚。彼は故郷を脱出し、師・柳義泰のもとで「心医」を志す…。韓国で300万部!!超ベストセラー歴史小説の全訳。
内容(「MARC」データベースより)
朝鮮王朝(李朝)中期、被差別民に生まれた一人の男がいた。その名は許浚。彼は故郷を脱出し、師・柳義泰のもとで「心医」を志す…。韓国で300万部のベストセラー歴史小説の全訳。
出版社 桐原書店 店売営業部, 2003/05/20
韓国で300万部突破のベストセラー、ついに完訳!
読みはじめたら止められない、 実在した韓国医師の感動大河小説!! 『許浚(ホジュン)』は、1992年韓国で上・中・下各巻合わせて300万部販売された、李恩成著『小説東医宝鑑』の翻訳本。さらに、小説の主人公・許浚(ホジュン)をえがいたテレビドラマは、李恩成氏の感動のシナリオで韓国で60%におよぶ高視聴率を獲得し、韓国全域で“ホジュン・シンドローム”を引き起こした。
小説の主人公・許浚(ホジュン)は、16~17世紀朝鮮王朝、下層身分の生まれで、「御医(最高の名医の座)」にまで登りつめた医師。朝鮮医学の集大成『東医宝鑑』の著者でもある。
朝鮮王朝下のひどい差別の中、秀吉の二度にわたる朝鮮侵攻、飢えに泣き、病に苦しむ民衆の中に飛び込み、人間の生命にのみ己を捧げるまさに“赤ひげ! ”。王朝の御医まで登りつめた、許浚(ホジュン)の波乱万丈の生涯と神秘な東洋医学の詳細がいきいきとえがかれている。
健康ブームの現在にも通ずる、西洋医学や漢方医学の要素がふんだんに、スピーディーではらはらする展開、許浚(ホジュン)の人間味あふれる人としての姿勢、時代や国を越えて訴えかける内容に引きこまれるのは必須。
韓国の人々が涙し、感動したその底流にある想いを私たちは共有できるだろうか?朝鮮民族の心を知る待望の書。
読みはじめたら止められない、 実在した韓国医師の感動大河小説!! 『許浚(ホジュン)』は、1992年韓国で上・中・下各巻合わせて300万部販売された、李恩成著『小説東医宝鑑』の翻訳本。さらに、小説の主人公・許浚(ホジュン)をえがいたテレビドラマは、李恩成氏の感動のシナリオで韓国で60%におよぶ高視聴率を獲得し、韓国全域で“ホジュン・シンドローム”を引き起こした。
小説の主人公・許浚(ホジュン)は、16~17世紀朝鮮王朝、下層身分の生まれで、「御医(最高の名医の座)」にまで登りつめた医師。朝鮮医学の集大成『東医宝鑑』の著者でもある。
朝鮮王朝下のひどい差別の中、秀吉の二度にわたる朝鮮侵攻、飢えに泣き、病に苦しむ民衆の中に飛び込み、人間の生命にのみ己を捧げるまさに“赤ひげ! ”。王朝の御医まで登りつめた、許浚(ホジュン)の波乱万丈の生涯と神秘な東洋医学の詳細がいきいきとえがかれている。
健康ブームの現在にも通ずる、西洋医学や漢方医学の要素がふんだんに、スピーディーではらはらする展開、許浚(ホジュン)の人間味あふれる人としての姿勢、時代や国を越えて訴えかける内容に引きこまれるのは必須。
韓国の人々が涙し、感動したその底流にある想いを私たちは共有できるだろうか?朝鮮民族の心を知る待望の書。
訳者 朴 菖熙(パク・チャンヒ), 2003/05/20
刊行によせて
私の翻訳いたしました、『許浚(ホジュン)』を紹介させていただきたく、ペンを執りました。
私は一九九二年の春、韓国外国語大学枚の教え子に勧められて、はじめて、私の『許浚』の原著である、李恩成著『小説東医宝鑑』に出会いました。一気に読み進んだのですが、私の胸中深く突き刺きったのは、『小説東医宝鑑』には、朝鮮人の醜さとひ弱さ、汚辱にまみれた”自画像”が描き出きれている、ということでした。私自身をふくめて、隣近所にふつうに存在する同族の生の姿であり、性(さが)でした。私は思わず顔を赤らめ、恥ずかしい思いがするのをどうすることもできませんでした。
小説はその反面、同胞の至善至高を志向し、言葉ではつくせない凄惨な状況においても凛々しく生きていく同胞の姿や! 性(さが)をも描いていました。
一言で申せば、この小説は朝鮮人の深層をたぐり寄せて満天下に露にしている、と私には思えました。そんな感想をだいていた私に、この小説を日本語に翻訳して出版すべきだとすすめたのは、やはり一読を勧めてくれた教え子(河南根ハナングン)でした。しかし、私は大学で韓国の歴史と思想の講義をし、翻訳などにたずさわったこともなく、一般文学作品については、単なる一読者にすぎませんでした。
ところで、じつは私は、祖父と父を漢方医とする漢方医家の育ちです。許浚の師である柳義泰(ユウイテ)は祖父のイメージと重なり、全体としてのこの作品は私にとって身近な描写に満ちていました。そして、小説の内容について関心が深まるばかりでした。
そんな時ふと、私の眼前に、お二人の先生の姿が浮かんできました。私がかつて師事した、一橋大学の上原専禄先生と西順蔵先生のお二人です。お二人から受けた学恩もさることながら、私は格別にご厚情をたまわっていたのですが、いまだに何一つご恩返しが果たせぬままになっていたのです。
「もし、私がこの小説の翻訳を果して、先生方の深く愛された日本の人々に、小説に形象化させた作者の真情を、韓国からのメッセージとして届けられるのであれば、あるいはご恩返しの一端となり得るかもしれない‥‥‥」
私の胸裡に去来したのは、こうした思いでありました。私は自身の非力を顧みず翻訳にかかることにしました。そして出来あがったのが、この『許浚』でございます。私が考え、意図したところが、皆様にはどう受けとられることでしょうか。ご一読のうえ、ご批判、ご叱正をいただければ、このうえない、幸せとぞんじます。よろしくお願いいたします。
私の翻訳いたしました、『許浚(ホジュン)』を紹介させていただきたく、ペンを執りました。
私は一九九二年の春、韓国外国語大学枚の教え子に勧められて、はじめて、私の『許浚』の原著である、李恩成著『小説東医宝鑑』に出会いました。一気に読み進んだのですが、私の胸中深く突き刺きったのは、『小説東医宝鑑』には、朝鮮人の醜さとひ弱さ、汚辱にまみれた”自画像”が描き出きれている、ということでした。私自身をふくめて、隣近所にふつうに存在する同族の生の姿であり、性(さが)でした。私は思わず顔を赤らめ、恥ずかしい思いがするのをどうすることもできませんでした。
小説はその反面、同胞の至善至高を志向し、言葉ではつくせない凄惨な状況においても凛々しく生きていく同胞の姿や! 性(さが)をも描いていました。
一言で申せば、この小説は朝鮮人の深層をたぐり寄せて満天下に露にしている、と私には思えました。そんな感想をだいていた私に、この小説を日本語に翻訳して出版すべきだとすすめたのは、やはり一読を勧めてくれた教え子(河南根ハナングン)でした。しかし、私は大学で韓国の歴史と思想の講義をし、翻訳などにたずさわったこともなく、一般文学作品については、単なる一読者にすぎませんでした。
ところで、じつは私は、祖父と父を漢方医とする漢方医家の育ちです。許浚の師である柳義泰(ユウイテ)は祖父のイメージと重なり、全体としてのこの作品は私にとって身近な描写に満ちていました。そして、小説の内容について関心が深まるばかりでした。
そんな時ふと、私の眼前に、お二人の先生の姿が浮かんできました。私がかつて師事した、一橋大学の上原専禄先生と西順蔵先生のお二人です。お二人から受けた学恩もさることながら、私は格別にご厚情をたまわっていたのですが、いまだに何一つご恩返しが果たせぬままになっていたのです。
「もし、私がこの小説の翻訳を果して、先生方の深く愛された日本の人々に、小説に形象化させた作者の真情を、韓国からのメッセージとして届けられるのであれば、あるいはご恩返しの一端となり得るかもしれない‥‥‥」
私の胸裡に去来したのは、こうした思いでありました。私は自身の非力を顧みず翻訳にかかることにしました。そして出来あがったのが、この『許浚』でございます。私が考え、意図したところが、皆様にはどう受けとられることでしょうか。ご一読のうえ、ご批判、ご叱正をいただければ、このうえない、幸せとぞんじます。よろしくお願いいたします。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
李 恩成
1937年東京生まれの在日韓国・朝鮮人2世。45年解放とともに帰国、韓国でシナリオライターとなる。67年『東亜日報』新春文芸シナリオ部門に「錆びた線」当選。69年アジア映画祭最優秀脚本賞、73年韓国芸術祭脚本賞(KBS放映作品)、75年韓国演劇映画TV芸術賞最優秀TV脚本賞(KBS放映作品)を受賞。朝鮮王朝中期の名医、許浚を描いたシナリオ「執念」が76年MBCで放映され大ヒットし、韓国演劇映画TV芸術賞最優秀シナリオ賞を受賞。本書のもとになる「小説東医宝鑑」を雑誌に連載中、88年に心臓病で急逝。89年「二つの太陽」が百想芸術大賞特別賞を受賞
朴 菖煕
1932年日本統治下の朝鮮・密陽生まれ。慶北中をおえて51年渡日。一橋大学経済学部で学び、同大学院で社会学博士号取得。東京都立大学大学院で歴史学専攻。68年韓国に帰国し、梨花女子大学校法政大学、韓国外国語大学校人文大学で20余年間、経済史、思想史、韓日関係史などを講義。大阪経済法科大学アジア研究所客員研究員。『許浚』の翻訳中、95年に国家保安法に問われ3年半の刑に服役。2年11か月後に赦免・復権。市民運動にたずさわり、強制連行、戦後処理問題などにかかわる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1937年東京生まれの在日韓国・朝鮮人2世。45年解放とともに帰国、韓国でシナリオライターとなる。67年『東亜日報』新春文芸シナリオ部門に「錆びた線」当選。69年アジア映画祭最優秀脚本賞、73年韓国芸術祭脚本賞(KBS放映作品)、75年韓国演劇映画TV芸術賞最優秀TV脚本賞(KBS放映作品)を受賞。朝鮮王朝中期の名医、許浚を描いたシナリオ「執念」が76年MBCで放映され大ヒットし、韓国演劇映画TV芸術賞最優秀シナリオ賞を受賞。本書のもとになる「小説東医宝鑑」を雑誌に連載中、88年に心臓病で急逝。89年「二つの太陽」が百想芸術大賞特別賞を受賞
朴 菖煕
1932年日本統治下の朝鮮・密陽生まれ。慶北中をおえて51年渡日。一橋大学経済学部で学び、同大学院で社会学博士号取得。東京都立大学大学院で歴史学専攻。68年韓国に帰国し、梨花女子大学校法政大学、韓国外国語大学校人文大学で20余年間、経済史、思想史、韓日関係史などを講義。大阪経済法科大学アジア研究所客員研究員。『許浚』の翻訳中、95年に国家保安法に問われ3年半の刑に服役。2年11か月後に赦免・復権。市民運動にたずさわり、強制連行、戦後処理問題などにかかわる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)