この映画を高評価せざるを得ない理由は多彩で個性的な登場人物たちとイーストウッドの西部劇であるという点に尽きます。
ジーン・ハックマン扮する保安官は自分の信念を貫き、自分の考える正義で街の秩序を守ろうとしますが、一方で下手糞な日曜大工で自分の家を作っているような微笑ましいところもあり、単純な悪役にはなっておらず、ハックマンの名演もあって非常に魅力的な人物に描かれています。冒頭のみの出演のリチャード・ハリスは格好よく登場し、格好悪く去っていきます。そのほかにも近視の若いガンマン、腰巾着の伝記作家など一癖も二癖もある人間ばかり登場します。
そしてちょっとくたびれた感じのイーストウッドが、すこしずつ敵の頭数を減らしていき、最後の酒場のシーンで決着つける時は、それまでのヨレヨレぶりが嘘のような大活躍です。この場面でのイーストウッドは最高に格好いい。しかし彼が仕事を引き受けた動機がいまひとつはっきりしない。お金のためなのか、娼婦たちに同情したのか、非情なガンマンだった過去の自分のプライドのためなのか、単に今の生活から逃れることなのか?このため、後半の徹底した容赦ない殺戮も、最後のモーガン・フリーマンの復習戦以外は観ていて暗澹とした気分になる部分もあります。
このように個性的な登場人物たちは皆、単純に善玉、悪玉に分けることができず、一体、誰が許されざる者なのか、我々、観客に問いかけているのかもしれません。
イーストウッド自身が「最後の西部劇」と言っており、西部劇を演出できる唯一の監督であり、西部劇で主役を張れる最後の俳優がイーストウッドであるならば、この作品が最後の本格的西部劇になるのでしょう。ある意味、西部劇というジャンルへ引導を渡してしまったのではないかと思う。