とにかく昭和史の一隅を照らす、重要な書物であることに間違いない。
2つの点で、悲しさを感じる。
まず、人間の真の弱さは、弾圧に負けることではなく、
弾圧された人間が、それが終わるといとも簡単に弾圧する側にまわる、
という真実。
どんな人間も、自分の記憶に正義の軌跡を引こうとする誘惑には勝てない。
フランスでもドイツでもそうだが、
多くの「良心的文化人」が「自分は本当は反対だった」と、
戦中の自己の言動を隠蔽した。
ただ、どの国でも最も酷いのが、個人ではなくメディアであり、
実は言論弾圧の加害者側であったメディアが、
戦後は一転して言論弾圧の被害者として、軍部の糾弾に成功する。
それはメディア、メディアに協力した個人、その読者・視聴者、戦後の全ての者にとって、
心地のいい文脈であり、一億総共犯と呼ぶべき黙約が成立している。
メディアの自己批判機能がない以上、その書き換えられた歴史を元に戻すことは難しい作業であったが、
本書はメディアが時局に迎合していくプロセスを丹念な調査で明らかにしている。
また、それ以上に鈴木少佐の人生は悲しい。
極貧の中から苦学して陸軍で地位を上げ、独自の教育論を構築することになる。
それは、完成度が高いともいえるが、一方であまりに「遊び」がない国家論であった。
鈴木の人生を考えれば、豊潤な文化を優雅に享受できる国家観が生まれるべくもない。
都会的で洒脱なメディア側の人間は、「田舎者の硬直的な教育論」に我慢ならなかったのだろう。
必ず相容れない2つの人種で、片方がもう片方を統制することによる悲劇。
戦後の糾弾の布石は既に打たれていた。